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デジャヴュ(既視感)

令和6年7月12日(金)

学期末の怒涛の日々。
ミスをしないように!といつも以上に注意はしているのですが、まあポロッポロとやってしまいます。

ご迷惑をおかけしないように頑張っているのですが・・・。

20年ほど前の記憶

初任の学校で7年勤め、初めての転勤でした。

校長先生が私が吹奏楽部を一生懸命にやっているのを見て、次の学校でも部活指導が出来る環境という人事を考えてくださいました。

本当に素晴らしい、あこがれる管理職でした。
ちなみに戦う校長先生で、その結果色々あって私が転勤した翌年にその学校に校長先生として赴任なさいました。(たった1年で異動させられてしまいました・・・)

今思えば、校長先生も多々思うところがあったことでしょう。
社会科準備室にいらして、のんびりお話しをしたのが懐かしいです。

私自身は意気揚々と新天地へはばたくつもりでした。

女子高という環境が未知の世界で不安だったのですが、副顧問の先生が本当に献身的にサポートして下さいました。

衝撃的だったのが、当時50名ほどいた3年生。

皆さん腕に覚えアリの生徒ばかりで、怖いもの知らずだった私も実は少しビビってました。

すると、部長(本当にしっかりしていて素晴らしい部長でした。)から「先生お話があります!」と春休み中の最後の練習で声をかけられました。

社会科室に集まった3年生。
100個ほどの目が私に注目していました。

おもむろに、その部長が「私たちは○○先生のご指導を受けたいので、金子先生は関わらないで頂きたいです。」(○○先生は当時有名な重鎮。2年前に他校へ転勤なさっていました。)

3年生たちは、その先生を慕って集まってきていたのです。
ですから、どこの誰だか分からないおじさん(若干30歳だったのですが、見た目は今とそれほど変わらなかったと・・・)が来て「おいおい!」って思った事でしょう。

しかもおじさんは肩をグルんグルん回して、やる気満々でした。

そこで出鼻をくじくというか、叩き潰すというか・・・。

まあ、方やA編成(大編成)で埼玉県代表、私はB編成(小編成)で県大会止まり。
なんだかんだ言って、コンクールの結果は指導者の実力です。

役不足は否めません。
実際に力不足だったのですから、仕方ありません。

指揮法もまだまだ、音楽の知識もまだまだ、和声に至っては勉強を始めてもいませんでした。
とにかく気合と根性だけで乗り切った7年間だったのです。

それで何とかなる!と思っていたのが能天気というものです。

まあ、実力審査どころか、書類選考で落ちてしまったわけです。
情けないですが、あの社会科室で頭に浮かんだのは初任の学校に残してきた3年生。
それを思うと本当に申し訳なく、涙が止まりませんでした。

ちなみにあまりに悔しくて、そのあとは某遊技施設(最近閉店が目立つ銀玉の打つ場所)で死んだ魚の目を死ながら時間をつぶしたのを今でも鮮明に覚えています。(勝ちました。その頃めちゃくちゃ勝ちまくりました。不思議と。)

東部支部吹奏楽研究発表会(6月)で指揮をしたのですが、事前の合奏時間がほとんどとられておらずぶっつけのような状態。(生徒は慣れ親しんだ曲で慣れてないのは私だけ・・・)

基礎合奏も一度もやったことが無い中、「先生リハーサルです!」って言われてしどろもどろしていると、「こりゃだめだな」とつぶやきが耳に届きます。

D部のコンクールも本当に辛かった。
全ては音楽で黙らせる力が無い指導者、指揮者だった故の事です。

さすがに辛くて学校サボりました。(1日だけ)
自分が生徒だったときは皆勤だったのですが・・・。

練習場に行くと手が震えました。
そして、本番も手が震えてしまい、指揮棒が使えなくなりました。

この現象は次の学校へ転勤して数年後まで続きました。

今思えば、貴重な「挫折」の経験です。

あの地獄があったから、あそこから前に進めたから今があります。

大人の責任

生徒達は純粋です。

私達大人の事を信じて、疑う事がありません。
ですから大きな影響を与えています。

今振り返ると、あのような状況を招いたのは大人の責任だったのは間違いありません。

子どもは鏡です。

私も状況を正面から受け止めて、自分の実力を認めて、謙虚に出来る事を積み重ねて行けばよかったと思います。
どうしても人間力の足らなさから、感情的になり、不安定だったと反省します。

結局、自分自身が落ち着いて気持ちよく部活が出来るまで結構時間がかかりました。

生徒が第一。

それが何よりも大切な事であると学びました。

もう私も30そこそこの若造ではありません。
それどころか、「不惑」も残り少ない年齢になりました。

これまでのありとあらゆる経験を総動員して、今を乗り切っていこうと思います。

「一切皆苦」

「ダンマ(真理)・パーダ(言葉)」【法句経】にあるお釈迦様の言葉です。

「苦」はそのままの「苦しみ」という意味もありますが、もっと本質的な意味で「思うように行かない」という意味だそうです。

人生は全て「思うようにはいかない」とおっしゃっているのです。

その通りです。

何一つ思う通りにはいかないのです。

その当たり前を忘れて、「思う通りにならない!」と不満に思うのは違うということです。

その「真理」を忘れずに、そんな人生の中で「ちょっとした幸せ」を大切に生きていくのです。

本当に細かい「うれしい!」を思い切り喜ぶようにしています。
また、声に出して「最高!」って言うようにしています。

それにしても、YouTubeのお勧めに「仏法説話」が多く出てきます。AIってすごいですね。
とにかく物事の「本質」を意識して、自分のなすべき行動を思う日々です。

もちろん出家はしません。

明日は楽器をたくさん吹いて、ブルックリンからいらっしゃるお客様と一緒に音楽して、英語を話して、非日常を思い切り楽しんでリフレッシュします。

やっと楽器が楽しく吹ける時間が増えてきました。

音楽は素晴らしい。
それだけで十分、と思っています。

明日も頑張りましょう!

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