令和4年5月10日(火)
ロシア戦勝記念日
対ドイツ戦勝を記念する休日。
ロシア最大の記念日とも言われますが、もともとは戦没者を悼む日、国際平和を祈念する日だそうです。
今の状況からは想像もできませんが、2005年の60周年の際には
日本から小泉首相、アメリカ合衆国からはブッシュ大統領など、戦勝国、戦敗国を問わず50カ国以上の国家元首が参加しました。
それが、現在は国外からは国家元首は誰一人参加せず、各国の駐露大使が招待されただけでした。
この17年間に一体何がプーチン大統領に起こったのでしょうか。
チェチェン紛争
1999年 独立派と新ロシア派の間で激しい内戦が勃発。
エリツィン大統領は健康不安を抱える中、首相のプーチンが強硬路線を推し進めました。
その結果、戦力で劣るチェチェン独立派は国内でのゲリラ戦に加えてロシア国内でのテロリズムを実行しました。
2002年 モスクワ劇場占拠事件、2004年 ベスラン学校占拠事件など。
チェチェンはムスリムの国であり、イスラム原理主義からの「自爆テロ」が横行しました。
ここで、2001年9.11のアメリカ同時多発テロが発生すると、同じテロとの戦いとしてプーチンはアメリカ合衆国と協調路線を見せた。
その結果、ロシアがチェチェン国内で行った非人道的破壊行為(現在ウクライナで見られるものと同等かそれ以上)は、徐々に批判を免れるようになりました。
ちなみに、今日では モスクワ劇場占拠事件など、いくつかのチェチェン武装ゲリラによるテロリズムと言われたものが、プーチンの自作自演と疑われています。
この「モスクワ劇場占拠事件」は、飯島俊成作曲「祈り その時、彼女は何を想ったのか ドゥブロフカ劇場(モスクワ)2002.10.26」という素晴らしい作品の題材にもなっています。
私はこの作品をいつか取り上げたい!と思っていましたが、よもやプーチンが政治的に裏工作でおきた虐殺事件だったと思うとやるせない思いでいっぱいです。
初期のプーチンは、国内の経済混乱を収拾し、混乱に乗じて独立運動を激化させた連邦を構成する諸国家を引き留め、徐々に独裁体制を確立していった。
アメリカ合衆国との歯車がズレ始めたのは
2003年 イラク戦争 が発端と言われます。
アメリカ合衆国は同時多発テロの首謀者である「アル・カイーダ」が、イラクのフセインと繋がっているとして突如、イラクに大量破壊兵器があると主張してイラクへの軍事侵攻を主張しました。
『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』
この映画で、いかにイラク戦争が世紀のでっち上げだったかが赤裸々に描かれています。
米国の主張は国連安全保障理事会では合意が得られませんでした。
それは、フランス、ロシアなど常任理事国が反対に回ったからです。
すると、アメリカ合衆国は英国、そして日本!を従えて独自に軍事侵攻を実行しました。
結局、3日ほどで本格的戦闘は終了するという圧倒的勝利(と宣伝)でした。
プーチンは安全保障理事会の決定を無視し、武力により他国の政治体制を破壊したアメリカ合衆国に強い不信感を持ちました。
ちなみに、フセイン大統領は拘束され、軍事裁判を受けてあっという間に処刑されました。
軍事侵攻の根拠とされた、イラクによる「大量破壊兵器」の保有は・・・。
「大量破壊兵器」は見つからず終了・・・。
何とも後味の悪い結果となりました。
アメリカ合衆国は、似たようなことを世界中でやってきました。
現在のロシアと全く同じですね。
アメリカ合衆国が、ロシアを批判できる立場にはない!というプーチンの考えは、実は間違っていないのです。
アメリカ合衆国の圧倒的軍事力を目の当たりにしたプーチン。
徐々に関係性が悪化し、アメリカ側もプーチンに不信感を募らせます。
2007年 ミュンヘン国防政策国際会議にて、プーチンはアメリカの一極集中を批判。
そのような中、米国は「イランと北朝鮮に対抗する」として、ポーランドとチェコにMD(ミサイル防衛)システム配備を進める。
そのMDシステムは対露ではないか!と不満をあらわにしました。
確かに、どう考えても距離的にイランと北朝鮮は無いかな・・・。
プーチンは代替案として、アゼルバイジャンにおいてレーダー設備を共同使用、トルコ、イラクへの配備を勧めましたが、米国は2008年7月チェコ、8月ポーランドへミサイル防衛システム(MD)が配備され、プーチンの主張は無視されたのです。
こうやって、世界最強のアメリカ合衆国、それと連携するNATO(北大西洋条約機構)の拡大はプーチンの孤立化、恐怖の増大、と追い詰めていったのでしょう。
これが、独裁者プーチンの暴走につながったのです。
もちろん、現在の戦争責任はしっかりと追及しなければなりません。
しかし、私たちはしっかりと客観的に、この出来事を認識する必要があります。
誰か一人の責任、ということは歴史上あり得ません。
様々な要因、思惑が絡んで起こる結果です。
だからこそ、客観的に検証して、同じ悲劇が繰り返されないようにしなければならないと思います。
本当に「第3次世界大戦」が勃発してしまうのではないか、と心配に思う日々です。
とにかく、戦勝記念日のプーチン大統領が行った演説を聞くと、追い詰められたロシアが今後どうなるのか心配です・・・。
個人チューニング2
さてさて。
吹奏楽部は今日も個人チューニング。
ぜひ、部員の皆さんにやってもらいたいのは
音楽を聴く!
自分の楽器のモデルになる音を心に焼き付けて欲しいです。
どうもそれが無いようです。
おすすめの楽曲をclassroomに紹介したこともあったな~。
もはや、途中で放置ですが。
もう一回やってみようと思います。
やっぱり、演奏者ならば、たくさん音楽を聴かないと。
トロンボーンの「優しい音」が大好きな女子に、フィンランディアやブラームスの交響曲第1番終楽章をお勧めしました。
さて。聴いたかな~。
クラリネットはシューベルトの交響曲が良いですね。
「未完成」など。
ただ練習するのではなく、音楽を学ぶという部分もしっかりとやっていきたいです。
音楽を演奏するのも、聴くのも好きになって欲しいです。
東部支部パートレッスン
今年度から始めた、吹奏楽連盟主催のパートレッスン。
すべてが手探りですが、だんだん形になってきました。
ちなみに、役員の先生方からも懐疑的なお言葉(出来るのか?ニーズはあるのか?大変じゃないか?)も多くでました。
実施方法を役員の先生方からアドバイス頂いて、改善に改善を重ねて要綱を配布しました。
アンケートを実施してニーズの確認。(あんまり返信はありませんでしたが・・・)
最後は、「全部自分でやるのでやらせてください!」とお願いして実施にこぎつけました。
ということで、まさに「オンオペ」状態でてんやわんや。
やればやるほど改善点が見つかって、保護者の皆様のサポートも頂きながら進んでまいりました。
そして!!とうとう!!
5月22日にフルート、サキソフォン、トランペットが実施となりました。
しかしながら、まだ全部のパートが実施できないのが残念です。(受講生不足です・・・)
随時募集中なので、ぜひこれから増えてくれることを期待しております。
1年間継続して、参加してくれた皆さんが大きく成長してくれれば、この流れは大きく拡大していくと信じています。
学校の枠組みを越えた活動の第1弾です。
そして、来年度は合奏も実施!という野望があります。
現在不動岡高校で取り組んでいる「吹奏楽のソルフェージュ」を取り入れて、楽曲にも取り組んで、そして発表会に参加します。
まだ、全く影も形も見えませんが、ワクワクしています!
レッスン受講生、そして合奏と展開が広がれば、社会活動と部活動の共存という流れが見えてきます。
私は、吹奏楽連盟はこういうことをやるべき組織だと思っています。
コンクールが活動の中心では、吹奏楽の将来は無いと考えています。
とにかく、「埼玉県吹奏楽連盟東部支部パートレッスン」が始動します!!
頑張るぞ~。
こういうお仕事は楽しくて、とってもやりがいがあっていくらでも頑張れます!
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