1954年3月1日
マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験が行われました。
マグロ延縄(はえなわ)漁船の「第五福竜丸」の乗組員23名が被ばくしたのが、いわゆる「第五福竜丸事件」です。
原子爆弾
日本は世界で唯一、原爆を投下された国家です。
これは米国が1945年に開発した新兵器でした。
作戦名「マンハッタン」計画
原子爆弾作成の重大任務の責任者オッペンハイマー博士を主人公とした映画が公開され、世界中で大変の話題となっています。
そもそも核兵器はナチス・ドイツが開発を進め、それに対抗すべく先進各国が開発に取り組んでいました。
ちなみに我が日本も原子爆弾開発競争に加わっていました。
ナチスドイツから逃れてきた大量のユダヤ人移民を受け入れたアメリカ合衆国は、ナチスドイツを倒すために協力を惜しまなかったユダヤ人物理学者を「新兵器開発」に投入しました。
ちなみにかのアインシュタイン博士も、原子爆弾の製造について理論的に製作可能であるというお墨付きを与えました。
このことを生涯にわたり後悔したアインシュタイン博士は、亡くなる1週間前に後に「ラッセル・アインシュタイン宣言」と呼ばれるようになる、核廃絶への思いを文章として残しました。
※ラッセルは英国の数学・論理学・哲学者のバートランド・ラッセル。ノーベル文学賞も受賞する著述家でもあり、生涯をかけて「核廃絶運動」に身をささげた人物。
さて、この原子爆弾は20世紀初頭から競って開発された「新兵器」の中でも、いわゆる「最終兵器」として期待されました。
ナチスドイツ、日本は徐々に追い詰められていた戦況を打開する「最終兵器」として期待していました。
これに対抗してアメリカ合衆国が世界最初の「原子爆弾」を開発しました。
1945年7月 ロスアラモス実験場(ニューメキシコ州ロスアラモス郡)において、人類史上最初の原子爆弾が爆発しました。
ちなみに、米国大統領トルーマンはソ連のスターリンへ「新兵器開発成功」をほのめかし圧力をかけました。
トルーマンは1917年ロシア革命、そして1922年に誕生したソヴィエト連邦を非常に危険視していました。
彼(とそのブレーン)はドイツ、日本との戦いの後に、共産主義、ソヴィエト連邦との争い、いわゆる「冷戦」の時代が待っていることを予見していたのです。
「なぜ日本に原子爆弾が使用されたのか?」という問いに、米国から帰ってくるものは
「戦争を早く終結させるため」
というものです。
これももちろん理由の一つでしょうが、他方、「新兵器」の存在を知らしめる必要性があったことも確かです。
実際に都市部で使用したらどれほどの被害が出るのか。
だれもそのデータをもっていないのです。
「アメリカ合衆国は原子爆弾を日本で実験した」という側面もあるのです。
いずれにせよ、1945年8月6日広島、8月9日長崎に投下された原爆は使用した側の想像を上回る被害を生み出し、世界にその存在を知らしめることとなりました。
8月15日にポツダム宣言受諾を天皇が宣言して終戦へと向かったきっかけになりました。
そして、アメリカ合衆国の圧倒的軍事優位性を世界が思い知ることにもなりました。
これは現代の戦争でも同じことです。
「戦争はビジネス」
常に新兵器の実験場なのです。
水素爆弾
アメリカ合衆国とソヴィエト連邦の「冷戦」が深まる中、最終兵器である原子爆弾をアメリカ合衆国が独占できた期間はそう長くは続きませんでした。
1949年8月 ソ連のセミパラチンスク実験場で長崎型プルトニウム爆弾の実験を成功させました。
アメリカ合衆国は軍事における優位性を失ったと考え、さらなる「最終兵器」の開発を急ぎました。
それが水素爆弾です。
原子爆弾はウラン(天然)・プルトニウム(人工)が核分裂する性質を利用した、原子核分裂エネルギーを利用します。
これに対し、水素爆弾は重水素、三重水素(トリチウム)の核融合を利用した兵器です。
水素爆弾の恐ろしいところは、「核融合」する原材料の量を増やせば理論上は無限に威力を増やせるという点です。
その結果、第五福竜丸事件の時に爆発した水素爆弾「ブラボー」の威力は、実に広島型原爆の1000倍という威力を発揮しました。
アメリカ合衆国は1952年に水素爆弾の開発に成功していましたが、ソヴィエト連邦は1953年に水素爆弾の開発を成功させていました。
次に核軍拡のテーマとなったのは、爆弾の運搬方法へ発展していきます。
これまた重要で「ミサイル」の開発競争となりますが、それはまたいつかの機会に。
日本人として
さて、私達日本人は「唯一の被爆国」です。
同胞の先人が、しかも多くの一般市民が無残にも消し飛ばされてしまったという悲劇を経験しています。
現在も被爆2世、3世として「原爆症」の後遺症をお持ちの方もいます。
戦争には理由があります。
政治、主義(イデオロギー)、宗教など。
しかし最大の理由は「経済」です。
つまり「お金」なのです。
その結果が悲惨な殺戮となるのです。
まずは、この悲惨な殺戮を日本人にしか持てない「当事者意識」で想像して欲しいです。
次の時代へ
原子爆弾、水素爆弾と最終兵器の開発合戦の過程でとても大きな被害が出ています。
第5福竜丸は唯一の被爆国「日本人」が再び被害に遭ったとセンセーショナルに報道されました。
しかし、この軍拡競争の被害者はアメリカ合衆国でも、ソヴィエト連邦でも、また核実験を受け入れた世界中の地域でも信じられない被害を出しています。
ちなみに、1957年ソヴィエト連邦ウラル地方で原子炉が爆発、大規模な放射能漏れを起こしました。
当時、ソ連はひた隠しにしましたが、住民数千人が死亡し、数万人が強制退去となって故郷を奪われました。
まるで、東日本大震災の福島と重なって思い出されます。
ちなみに、原子爆弾開発と原子力発電開発は兄弟です。
これもまた深い話ですので、またの機会に。
さて、私達日本人は、特に若い皆さんはこの「第五福竜丸事件」を通じて多くを学び、感じて欲しいです。
この事件だけを単に「悲劇」と捉えるのではなく、歴史として考えて欲しいです。
そして、この歴史は今につながっているのです。
まずは、「これからどうするのか?」という問いに対して自分なりの考えを持つことから始まります。
戦争の「犠牲」はとてつもなく大きい。
でも、世の中には「戦争」を求めている人がたくさんいるのです。
それを生業にしている人もたくさんいますし、何より私たちもその恩恵を受けて生活しています。
つまり、歴史を見る限り現在の世界で人類の発展と戦争は切っても切れないのです。
この難しいテーマから目を背けず、受け止めていきましょう。
コメント