令和5年10月16日(火)
日々色々な事が起こります。
教員冥利に尽きるとはこのことでしょう。
本質を見誤らない
結果を出すことは大切です。
でも、過程はもっと大切。
なぜならば「過程の改善」が「結果」につながるからです。
これって結構勘違いされていますが
「結果は出なくても、過程が頑張っていればOK」
というのは大きな間違いです。
そもそも
「結果は10回やって1回出るくらいのもの」
くらいに考えるべきです。
結果が出たことは素晴らしいことですし、そこに至る過程も素晴らしいはず。
ですから心から賞賛を送りましょう。
でも、同じように「過程」も賞賛してください。
「素晴らしい取り組み」
「過程の改善」
つまり前向きにチャレンジし続ける人を応援するということです。
「過程」の改善もせず、行動もせず、そして他人の出した「結果」だけを追い続ける。
これは「何もしていない」のと一緒です。
自分の人生を生きる、主役として自分をとらえる事が大切です。
自分で自分の事をもっと大切に扱ってください。
皆さん一人一人には無限の可能性があります。
それを、自分自身が「無理!」とか言って否定しないでください。
年を重ねれば重ねるほど、習慣は固定化していきます。
もちろん、いくつになっても自分は変えられます。
でも、やっぱり若くて柔軟な間こそ、理想の自分、目標の自分に向かって突き進む習慣をつけやすいはずです。
結果を勘違いしている
出すものを出せばいい。
点数を取ればいい。
やることをやっていればいい。
確かに見た目は整っているかもしれません。
期限を守っている、全部やっている、でもその「過程」は「結果」につながるでしょうか。
でも、その積み重ねている「過程」はあなたの期待する「結果」につながっているでしょうか。
そもそも自分の「結果」に対して期待しているでしょうか?
とにかく、人の「結果」をうらやんだり、批判している人ほど、自分の「結果」を否定してる事が多いです。
まず、「結果」を自分のものとして受け止める事からです。
今の自分は、誰が何と言おうと「これまでの自分が積み重ねてきた結果」です。
周囲にいる人間が「あれはちょっと・・・」と思うかもしれませんが、あなたがその場所を選び、外から見ればあなたもその一員です。
残念でしょうか。
でも、それがあなたの「結果」です。
これをどう受け止めるかはその人の自由です。
「結果」を胡麻化している人はまだいいです。
だって、胡麻化すのをやめればいいのですから。
でも、「結果」を勘違いしている人は大変です。
なかなか気が付かないですから・・・。
気が付いてくれるように周囲の人が声をかけても、なかなか気が付いてくれません。
これが、大人だったらもっと大変。
そもそも、大人は大人にアドバイスはしません。
毎日のようにアドバイスしてくれる学校。
今だけです。
まず、大人になったら聞かないから。
つまり、今のうちに、「教えてもらえるうち」に気が付いておきましょう。
私も、結構年齢を積み重ねて「陰口」を言われる立場になりました。
もう面と向かって言ってくれない年になったなと、自分でも思うわけです。
つまり、それなりの経験を積んで、大人になったら「陰口」を受け止めて自分で改善していくしかありません。もちろん、無視してよい「陰口」もありますけどね。
まあ、その判断基準の一つは「誰が言っているか」でしょう。
この人が言うんだから、という判断基準はとても重要。
誰の言う事も聞いてたら大変です。
ということで、大人のこともよ~く見てください。
「へ~」って感じで。
私も反面教師にならないように頑張ります。
とはいえ、どっちにしてもすべては皆さんのためになるでしょうけど。
あ、これはマネしちゃいけない。と判断してください。
「過程」で大切にすべきこと
それは、一言で言えば「誠実」であること。
ちなみにこの言葉は、朱熹 1130~1200 の『大学』や、『中庸』に出てくる言葉です。
心に宇宙の本質がある状態。
あんまり難しく考えず、心の状態が「あるべき姿」にある、という感じ。
もう少し解釈を加えると、「結果」に結びつくような「心の状態」になっていること。
ちゃんとした「過程」の積み重ねは、そのうち「結果」につながる。
だから、チャレンジする日々の「心持」を大切にしてほしいです。
ですから、適当、軽く見る、胡麻化す、はダメです。
それでは「結果」はでません。
お互い頑張りましょう。
今日、今の取り組みを大切に。
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