令和3年5月8日(土)
本日は土曜授業。
緊急事態宣言とか、蔓延防止法とか、色々とあるようですが、情報遮断の影響でどうなっているのか分かりません・・・。
でも、あんまり困らないんですよね。
自分に判断する権限が無いのに、無駄にストレスを感じるだけの情報は必要ないです。
結局、出来る範囲の事を最大限にやる、そのためには感染者数とか関係ありません。
勝手に権力のある人が制限をかけてくるので、それに柔軟に心穏やかに対応するだけです。
この状況で一番大切なのは、自分自身のストレスコントロール。
日々の授業、部活、合奏、中国の不思議な役人(今日も振り間違えました・・・・)を楽しみます。
「反応しない」
不動岡高校は生徒も先生方も、保護者の皆さんも素晴らしい方ばかりです。
そこにストレスを感じる事は一切ありません。
まさに天国です。
このような環境に身を置けることに、心から幸せを感じて今日も過ごしました。
「自分の問題」と「他人の問題」を分ける。
アドラーの本にも出てきました。同じような事はドラッカーの本にも。
まさに、コロナの問題で人々が話題にしていることは「他人の問題」です。
「自分の問題」
自分自身の感染症対策です。
自分の身を最大限守ることに集中することが、私にできる最大限の感染予防対策です。
その上で、出来る事は諦めないでやる。
当然、止めようとする人は出てきますが、柔軟に、可能性を最後まであきらめない。
その圧力に屈しない、精神的体力を維持するためにも、ストレスのかかる情報は遮断すべきだと思います。
結団式
東グラウンド、樹木の広場、サッカー場、北グラウンドに各段が集まって、団長が自己紹介(今更・・・)、団ダンス、交流を深めるレクリエーションなどを実施していました。
賑やかにやっていたので、どの団もうまくいったのではないでしょうか。
若手の先生、初めて不動岡に来る先生方は、この行事は一体!?
ということで、自分のクラスの現場に顔を出していました。
まあ、最初に様子を見るのも良いと思いますが・・・。
この学校では、生徒の活動に教員が顔を出すのは野暮というものです。
生徒の活動に大人は関与しない。
それが出来る学校です。いや、出来なくては困ります。
ちなみに、生徒の主体的活動となれば、大人の筋ほどは通ってないものばかり。
そりゃ高校生ですから。
でも、生徒なりに考え、筋を通して、行動していく彼らこそ、「品格あるリーダー」になるのだと確信しています。
部活でも「大人の期待を裏切る行動をすべし!」と言い続けています。
彼らは我々の基準をはるかに越えて、さらに大きく飛躍する可能性のある期待の星たちです。
その成長を見守るのが私たち教員の役目。
時には保護者の皆さまに、「何とかなりますから大丈夫です」と説明するのも役目。
学校祭など生徒会行事は、生徒の主体的な行動そのものです。
その出来、不出来はどうでもいいんです。危なっかしいくらいがいいんです。
大人から見ればくだらないことかもしれません。
もちろん生徒自身も「くだらないな~」とおもっているんです。そうじゃない生徒もいるでしょうが。(主に男子。それがいいところでもある・・・・。)
でも、だからこそチャレンジする勇気が持てます。
失うものは何もない、大したことではないからこそ、自分で考え、行動する勇気が持てる機会です。
そんな「行動する」事が、学校でしか出来ない経験だと思います。
思い切り「失敗」させてあげてください。
大したことない事でも、彼らにとっては大事件。
この経験がこの先の人生にどれほど大きな影響を与える事か。それは数値化できない、何物にも替え難いものです。
今年度は様々な制限を受けつつも、例年通りにやれていることが多いです。
それを考えると、今の高校生たちは本当に幸せです。
先日も書いたNHKの特集番組をみると、どうもコロナ対策はワクチン接種しかないようです。
現在の所。
そして、行動制限は対処療法でしかないということは周知の事実。
制限を緩和すれば増え、制限すれば落ち着く。
これが繰り返されるだけです。
また、変異株が取り上げられていますが、今後もどんどん新たな変異株が出てくるということです。
その変異株の影響を考慮した感染拡大の予想は、行動制限をしてもかなり拡大するだそうです。
でも!
予定通りに進めば年末までには、感染拡大に歯止めをかける程度のワクチン接種が進むそうです。
それまで、耐えるしかありません。
とは言え、あと半年。あっという間です。もう1年2か月戦っているのですから。
実際に最前線で戦っていらっしゃる皆さんには感謝の気持ちしかありません。
私たちに出来る事は、感染予防を徹底して、負担を増やさない事、あとは経済的負担でしょう。
もう何度も言っていますが、冷静に、科学的に、そして出来る限り「幸せ」に過ごす事です。
「コロナのおかげ」と思えるような、結果オーライにするしぶとさが求められる時です。
日輪の下に
昨日急転直下、金曜日に川越高校に行くことになった6校応援団演舞発表会「日輪の下に」。
ところが、これを巡って様々なご意見を頂戴することになりました。
大変勉強になる時間で、お話を伺っていて様々な事を考えさせていただきました。
私は顧問に筋を通しつつ、生徒たちが自分の判断でどんどん行動する事を「素晴らしい」と思っています。
しかし、そのことを「無責任」を考える方もいるのです。
また、生徒だけで運営が出来ていること自体が賞賛に値すると思うのですが、「監督不行き届き」という考え方もあるのです。
私がこの不動岡高校で学んだ一番の財産は、「生徒に任せる」という事です。
実は結構細かいことが気になる性格なので、見ていると気になってしまいます。
そこで、「片目つぶって」どころか、「両目つぶって」見ないようにする、という技を覚えました。
パッと目に入るシーンで判断しない。
1人1人の考えを尊重し、信じて、後は応援するだけです。
彼らに期待する「成功」は、私の常識でイメージするような「成功」ではダメなのです。
彼らは、もっと世界に羽ばたく人材なのですから。
我々教員の持つ常識による「期待」は、時には足かせになってしまいます。
彼らの将来に、自信を持って祝福できるのが不動岡高校の教員の理想ではないでしょうか。
頭が切れるだけではダメです。
一番必要なのは「行動力」
それを引き出す「勇気」
そのために必要な「経験」
これらを与える環境整備こそ、私たちの出番です。
いや、これ以外にはありません。
何でも自分でやらせる。
助けない。(出来ないフリをする。ほとんどはフリではなく、本当にできないんですが・・・)
そうすると、彼らが本当に素晴らしい面を見せてくれます。
どんどん輝いていきます。
だから、日々彼らを見ていて「すごいな~」とか、「偉いな~」と心から思います。
そんな彼らでも、もちろん「失敗」(全く悪い事ではありません。行動の結果ですから。)もします。
単純なミスもします。
その時は私の出番。
謝罪あるのみ。
でも、たいがい大した失敗ではありません。
かつて私が若いころ、日々失敗をしていました。
私自身はあんまり落ち込まないのですが、ベテランの先生が「君の倍給料をもらってる人が責任とるから、気にせずチャレンジしよう。」と声をかけてくれました。
何とも、心から尊敬できる先輩先生でした。
それを考えると、まだまだ自分の器の小ささに悲しくなることもしばしば。
「不惑」
ですが、もちろん「矩(のり)を越えまくって」います。
その境地に至るまではあと数十年。
ということで、大人もたくさん「失敗」(思うような結果が出ない状態)しています。
それを楽しむくらいじゃないと!
さあ、次はどんな矢が飛んでくるのか!
楽しむほど余裕はありませんが、まあドラマは盛り上がりそうです・・・。
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