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コンフォートゾーンを突き抜けろ!

吹奏楽

令和6年10月21日(月)

テスト週間は結構忙しいですが、色々と思いに耽る素晴らしい時間でもあります。

久保建英選手

いまや、世界にその名をとどろかせる久保建英選手。

彼の人生を振り返る動画を見ていて、身体に電流が走るような衝撃を受けました。

常に成功しているように見えるようですが、実は彼は出場チャンスを求めてレンタル移籍といういばらの道を突き進んでいました。

その期間はとにかく思うように行かない、歯がゆい時期を経験しています。

そもそも、バルセロナから強制的に日本に帰国させられ、不本意ながら日本のJリーグに参加しましたが、思うようにプレー出来ない日々が続きました。(とは言え15歳ですが・・・。中学校3年生。)

すると、所属するFC東京から横浜マリノスへレンタル移籍をして出場機会をつかみました。

順風満帆の道などでは全くなく、常に自分を成長させる環境に身を置き続け、チャレンジし続けた人生です。

そこで、キーワードは「自己責任と他者責任をしっかりと分けて考える」ということでした。

監督が使わないと判断した時には、それは自分にはどうにもできないと冷静に受け止めます。
そして、しっかりと考えて、勇気ある決断して新たな環境に身を置くのです。

18歳でレアル・マドリードに加入すると、2軍のラウール監督に残留を求められたのを断ってレンタル移籍を決断しました。

最初のレンタル先はビジャレアルという名門チームでした。

レンタル選手はいつか戻る選手。
経験を積ませて、成長させるチャンスを与えようという監督はいません。それならば自分のチームが保有する若手に経験を積ませます。

つまり、ずば抜けた実力で出場機会を勝ち取るしかないのです。

久保選手はエメリ監督というビッグネームに対して「自分を呼んだのに使わないなら出してくれ!」と直訴して、たった半年で次のクラブへレンタル移籍を決断しました。

エメリ監督は「守備の強度が足りない!」と言って、なかなか試合では使いませんでした。

出番が無い、自分が努力しようとそれは変わらないと判断したのです。

出場機会が約束された世界最高クラブの2軍を断り、リーガ・エスパニョーラ名門を断り、下位に低迷するヘタフェでのチャンスをつかみ取ることに勝負をかけました。

分かっていても、なかなか出来るものではありません。

彼の信念は素晴らしい。

自分に当てはめると

やはり、私自身もこれまで大きな挫折を味わい、それが今思えば素晴らしい貴重な経験だったと振り返る事が出来ます。

自分で変えられるものは変え、変えられないものは受け入れて次に進む。

これって私の事を言っている!と衝撃が走りました。

やはり自分の力を発揮できる環境を求めて、その先に困難が待ち受けてもそれを乗り越える覚悟でチャレンジする。

23歳のスタープレーヤーと比べるべくもありませんが、でも48歳の私も勇気をもって行動するべきだと背中を押された気がします。

「吹奏楽部」のある生活。

結構、不動岡高校吹奏楽部でやり切った気がしていたのですが・・・。
全くそんなことはありませんでした。

もう一度、自分のど真ん中を見直すことが出来ました。

まだまだ迷いはありますが、この時間こそ人生を新たなステップへ進めるためのものだったのかもしれません。

私のストーリーがどんな展開を見せるのか。

あんまり深く考えても勇気は出てこないので、楽天的に、何とかなるでしょう~くらいの気持ちでチャレンジしようと思います。

さ~私の歴史も動き出しそうです。

乞うご期待!

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