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マエストロ

 世界の至宝マエストロ「小澤征爾」
 ノーベル賞作家の村上春樹氏との対談を読んだ。私は「ノルウェイの森」で出会い、その後シリーズを何作か読んだ。最近大ヒットしたのは読んでないな。

 とにかくマエストロの音楽に対する気持ち、そしてそこから見える音楽の本質に触れるかのような内容。残念ながら浅学な私にはマーラーもハイドンもいずれも曲名からその場面をイメージ出来るわけでもなく、とにかく聞いてみよう!という気持ちが強くなった。

 そんな私でも音楽について真剣に語り合う二人の言葉は新鮮だった。少なからず私の中に残り、これからも影響を持つ事だろう。

 残り時間の少なさを思い知り、出来る事の限りを知る事の辛さ。だからと言ってパフォーマンスは劇的に昇華するものではない。今までやってきた事をやり続けるしかない。でも高齢になってもそれが続けられるマエストロに心から敬服の念を持った。

 レナード・バーンスタインのこと、ヘルヴェルト・フォン・カラヤンの事。ユダヤ人と生粋のドイツ人。またユダヤ系ドイツ人のマーラーの事。ウィーンの事。いずれも新鮮なお話で、時代の隔たりを感じる。

 今月とうとう36歳になる。
 自分がこの年になる、という実感は全くと言っていいほどない。つい先日ビールを買おうとして「ライセンス見せろ」と言われて絶句したが。。。

 これまでもとにかく勉強して、すこしでも良い合奏、良い指揮、そして素晴らしい音楽を目指して頑張ってきた。全力で。でもマエストロの「いつ終わってしまうか分からない」という境地に、新たな刺激を感じる。

 この年になれば中堅。
 色んなアドバイス、勧めを受ける事もある。これから先の時間をどのように過ごして行くのかを考える時間も必要だ。最近首の調子をおかしくする事が多く、体を壊したら話にならないと思う事しきり。若い!と自分が思っていても、永遠は無いということは当然の事。

 そんな中ちらほら部を去る者が出た。
 自分自身高校時代を振り返ると、とにかく部活をやりに学校へ行っていた。そんな中で同期は確か12人。昔の事はすっかり忘れる性質うなのに、これは良く覚えている。(実際自分のクラスが何組だった、なんて話になるととんと思いだせない。高校は選択制で1~3組しかなかったのにも関わらず・・・)

 そうそう。
 部長だったサックスのやつが6月の定演で退部した。
 理由は進路のため。全くもって理解が出来なかった。後輩がどんどん人数が増えて、3年の時は80人ほどの部活に成長していた。2年生の時にB部門で関東大会(当時はまだ東西に分かれる前。3年生を最後に東西へ分割された)へ進み、次は何としてもA部門へ出よう!と意気込んでいる矢先。

 その後彼女と全く交流を持たなかったが、とにかく怒り以外の気持ちを感じる事が出来なかった若かった時代。何としても良い活動をして進路と両立するぞ!と誓った。結局勉強はしなかったけど。

 結果すったもんだの末出場はB部門。
 泣きながら訴えたのに、味方は副部長のS君だけだったな。孤立無援の2人。何度か行われたミーティングに何だか良くわからない理由で遅刻してきた2年生に怒り、トイレの鏡を割ってしまった若気の至り。ごめんなさい。音楽棟のトイレの鏡が一枚入ってないのは私のせいです。この間見た時もなかったもんな。。

 続けたくても終わりは来る。
 それは絶対に必ず。私自身にも言えることだ。だからこそ今日の練習を本気で頑張ろうと思える。今度の定期演奏会を何としても素晴らしいコンサートにしたい。7日の東部地区で感動し、それを会場の皆さんと共有したい。

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