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鬼滅の刃 無限列車編

令和3年6月18日(金)

本日で3日間連続の「無限列車編」上映会となりました。

もう見なくても、と思っていたのですが、どうしても見てしまいます。
ものすごい魔力があります・・・。

煉獄杏寿郎

無限列車編の主人公は、やっぱり「煉獄杏寿郎」でしょう。

劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編公式サイト
「その刃で、悪夢を断ち斬れ」劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編 絶賛公開中!

そして、彼が身をもって後輩たちに伝えたことが

「生きるとは?」

「至高の存在」を目指す上弦の三の鬼である「猗窩座(アカザ)」
杏寿郎の力を認め、鬼となって永遠に競い合う存在になるよう勧める。

ずっと修行できる。その先には「思考の存在」に届くかもしれない、と誘う。
しかし、杏寿郎は迷うことなく否定する。
ただ「強い」ということに、どれほどの価値があるのか・・・。

柱となった鬼殺隊員は、その力によって鬼を抹殺する。
鬼から人を守る。
そして、次の世代を育て、次の世代を守る。

そして、いつか自分の役目を全うして、その人生を終える。
杏寿郎の最後の表情がすべてを物語っています。

「生きる」とはどういう意味なのか、という極めてシンプルかつ重要な哲学的問いがこの「無限列車編」のテーマです。

挫折した父「煉獄槇寿郎(しんじゅろう)」
そして「炎柱」を代々継承してきた煉獄家を絶やすことになると、父と同じように挫折をする弟「千寿郎」

杏寿郎が最後に残した言葉。
父にはいたわりの言葉を。
弟には「自分の道を進め」という、背中を押す言葉を残しました。

弟への言葉には「柱」になるだけが人生ではない、というメッセージが込められています。
『鬼滅の刃』では、鬼殺隊員になれなかった人々にも焦点を当てます。
例えば「隠」(かくし)だったり、看護にあたる人々だったりします。

これらの人々を描くことで、作者が伝えたかった事は何か。
それは自分の出来る事に焦点を当てれば、誰でも「生きる意味」を手に入れられるということではないでしょうか。

人と比較して足らない部分ばかりを意識し、他人をうらやむことは不幸である。
そして、その状態では「自分の人生」を生きられないという事です。

人の命ははかなく、もろい。
それを「鬼」との戦いでより鮮明に伝えます。
だからこそ、「命ある今何をすべきなのか」という問いかけを感じずにはいられません。

柱も実は若者ですが、命のやり取りを重ねたことで随分と老成して見えます。
年齢ではなく、経験が人を作るということなのでしょう。
どれだけ修羅場をくぐり抜けてきたのか。

また、柱も長くは務められないという事も、随所に描かれています。
竈門炭次郎が最初に師事した鱗滝左近次も元柱。
肉体的に損傷は見られず、体力の限界か、杏寿郎の父のように心が折れたのか。

全ては鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)を倒すために。

鬼の人生

実は鬼殺隊だけでなく、「鬼」を描くことでも「人生」について語っています。

「鬼」には、人間だった頃に得られなかった人並みの幸せに対する「渇愛」※1が等しくあります。
人の身では受けられなかった愛情を得ようと、偽の家族を作った鬼もいました。

※1 ガウタマ=シッダールタが「苦」についてまとめた『四諦』(しだい)にも記されいています。
   「苦」の中心的な存在として説明しています。
   ①刺激・快楽への渇愛 ②存在する事への渇愛 ③存在しなくなることへの渇愛
   これが「苦」の原因であり、これにより輪廻転生の輪の中で死と再生を繰り返すとしました。

つまり「鬼」も苦しんでいるのです。
仏教的に言うと、四苦八苦の境地です。

四苦とは「生・老・病・死」

「鬼」にとって「生」そのものが苦の全て。「老・病・死」を乗り越えた存在になります。
しかしながら、その人生から「苦」が消える事はありません。
それは「生」によって受けた「苦」への「執着」からです。

皮肉な事に「鬼」が消滅する時に、初めて「苦」から解放されます。

これが「鬼滅の刃」における死生観ではないでしょうか。

善逸のように逃げてしまえばよいのですよね。(実際は逃げないけど)
彼は一般人の代表者のようです。

炭次郎のような行いは凡人には難しいです・・・。
でも、結局「苦」から逃れようとすればするほど、「苦」が大きくなるのです。

自分らしく。
自分の出来る事で「苦」を乗り越えていきましょう。
そこにはあなただけの「意味」あなただけの「結果」があります。
決して人から与えられた「意味」、「結果」を自分の人生としてはいけません。

それこそ、「鬼」に「苦」が常にある原因だと思います。
なぜなら「鬼」は鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)に作られた存在なのですから。

「自分らしく」

これを獲得できたときに、涅槃寂静へと至る「鬼」が切なくも美しく描かれています。
「無限列車編」の「鬼」である魘夢(えんむ)の最後はなかなか「執着」の塊でしたが・・・。

この「鬼」だけではないでしょうか?
最後の最後まで「苦」の中で消滅したのは。

ということで、「遊郭編」が待ち切れずに原作漫画を読んでしまい寝不足です・・・。
こんな日もありますね~。
さすがに、当分「無限列車編」は見るのはお休みするはずです・・・。

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