令和6年8月14日(水)
お盆休みが終わりました。
職場は「閉庁日」ということで、人の数も少なくて寂しい感じでした。
今日は楽器をたくさん吹いて、音楽について色々と考えました。
ロマン主義
「アゴーギグ」(テンポのゆらぎ)をどのようにつけるのか。
これは音楽の「様式(スタイル)」をしっかりと学び理解する必要があります。
私は全く音楽の素養が無く、ピアノも弾けないので、全ては「指揮法教程」のレッスンで学びました。
ロベルト・シューマン「子供の情景」
シューマンが愛する妻であり、ヨーロッパに名声がとどろく人気ピアニストのクララに贈った作品。これを弾いてヨーロッパツアーを行い、シューマンの作品は大人気になった。
フェリックス・メンデルスゾーン 「無言歌集」
ユダヤ系ということで迫害されていたが、20歳の時に祖母から送られた楽譜をもとに「マタイ受難曲」の復活公演を大成功させたことでその地位を確立した。
フランツ・シューベルト 「未完成」
この作品はその名の通り「未完成」なのですが、とても魅力的でレッスンを受けてから大好きになりました。
終わってないのに、ちゃんと「終わった」感じがしてきてしまうのも不思議です。
ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番
指揮法教程のレッスンで、最も印象深く、影響を受けたのはブラームスの交響曲でした。
この第3番のアウフ・タクトが音楽にならなくて・・・。
チェリビダッケの超絶長いアウフタクトは参考にせず、自分の音楽を感じて自然な流れを作れるようにすることで多くの学びがありました。
ロマン主義とは?
そもそも「ロマン主義」とは何なのでしょうか?
音楽的には「古典主義」から「ロマン主義」への変化は、まさに冒頭の「アゴーギグ」(テンポのゆらぎ)に代表される「感情」を音楽で表現するようになったことでしょう。
ただロマン主義=「テンポが自由」ではちょっと理解が寂しいので、もう少し深堀りしましょう。
「ロマン」
「ロマニシュ語」が語源となっています。
この「ロマニシュ語」は現在でもスイスで認められている4つの言語(ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマニシュ語)の一つです。ただ、母語話者は少なく、本来の公用語として話されているような言語ではありません。憲法上「公用語」に定められているのですが、そこには「歴史」を背景として大切にしているという意味合いが大きいのです。
さて、「ロマニシュ語」は「ラテン語」の口語とされます。
欧州の言語の源流はローマ帝国から広まる「ラテン語」です。
しかし、この「ラテン語」は公文書、のちにキリスト教の聖書などに用いられる正式な言語であり、とても難解で一般人が使用できるものではありませんでした。
「ロマニシュ語」は、この「ラテン語」が時を経て民衆でも話せる、書けるように一般化されたものです。
さて、これがなぜ「芸術のスタイル」になったのでしょうか。
フランス革命
1789年 ヨーロッパを代表するブルボン朝フランスがブルジョワ(上流階級)市民によって倒されました。
ルイ16世、マリ・アントワネットがギロチンで公開処刑されました。
これはパリオリンピックの開会式でも話題でしたね。かなり悪趣味でしたが・・・。
その後、1804年 ナポレオン1世即位、1815年 ウィーン体制(ナポレオン1世が敗北)・フランス王政復古(ブルボン朝復活)、1830年七月革命(ルイ・フィリップが市民の推薦を受けて国王に即位)、1848年二月革命(労働者が中心となってルイ・フィリップの七月王政を打倒)、1852年 ナポレオン3世即位
とつらつらと歴史を年代順に述べましたが・・・。
何が言いたいかというと、19世紀は歴史の大転換点だった!ということです。
それまでの伝統(古典)から解放され、何か「新しいこと」をやろうという機運が盛り上がります。
こういう時代の変化は「芸術」の分野から始まるのです。
文学、絵画、そして音楽。
音楽で盛んだったのは宗教音楽でした。
先ほどの「マタイ受難曲」のバッハのように、教会ミサのための音楽です。
さらに、王侯貴族がパトロン(支援者)となり自宅で愉しむ音楽でした。
それが市民革命、産業革命を経て、市民が楽しむものになります。
さらに、技術革新によって大きな音の出る楽器を製作できるようになり、利益を出すために大きなホールに大勢の人を集めて公演するようになります。
つまり、思想的に「新しい!」が求められ、聞き手も変わり、技術革新も相次いだわけです。
ここで「ロマン主義」が登場するのです。
この言葉の意味は、公式の「ラテン語」では表さない、庶民の「ロマニシュ語」で、庶民が語るような内容をテーマにする、というものです。
そうなると、最も人気の出る題材は「恋愛」です。
そもそも古代ギリシア(古典主義のテーマとなる「古典」)では、ゼウスを筆頭に色恋沙汰のお話ばかりです。
元々こういうネタが大好きだったのですが、ローマ帝国以降だんだん社会が安定すると保守的になります。さらにキリスト教が社会の土台となると、「禁欲」が正しい世の中になっていくのです。
古代ギリシアでは肉体美が惜しげもなく表現されますが、中世のキリスト教世界では忌み嫌われるようになっていきます。
これが19世紀にぶっ飛びました。
そうです。「自由」です。
愛も恋も恨みもなんでも表現してOK!
いやいや世の中的にはOKじゃなくても、「どんどんいっちゃえ!」という開拓者が登場するのが芸術の分野の魅力です。
そこで、上記の作曲家たちは「感情」を音にして紡ぐようになるのです。
するとテンポも「感情」と共に揺らぐようになるわけです。
これが歌曲になればさらに自由に、歌詞に感情が乗って表現されます。
以前、イタリア・ミラノ・スカラ座主席クラリネット奏者メローニさんに、「蝶々夫人」のレッスンをして頂いたときのアドバイスが忘れられません。
20歳でリカルド・ムーティに絶賛され主席に抜擢された。
「テンポ?そんなものはキミシダイ。君の愛だよ。」
ありがとうございます・・・。
でも、これが本質。
とはいえ、様々な作品で「アゴーギグ(ゆらぎ)」の一般性を学びます。
その上で「自分」の感情を乗せる。
これは、『齋藤秀雄講義集』でも取り上げられているのですが、やはり様々な演奏から学びある程度「落としどころ」を知ってから、自分らしく演奏しないと「偽物」になるとおっしゃっています。
ということで、アゴーギグは深いわけです。
例えば、現在大人気の樽屋雅徳氏の作品はまさに「ロマン主義」の様式を用いている作品が多いです。
ここでアゴーギグがぎこちない、不自然なだけで、例えば専門家が聴くコンクールでは「偽物」と評価されてしまう訳です。
日々勉強です。
楽曲の持つ魅力をどこまで引き出せるか。
頑張りましょう~。
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