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演奏会のススメ

令和5年2月13日(月)

ここのところ確信していることは、

プロフェッショナルの演奏を聴く

ということの大切さです。

そんなことは当たり前と思ってきましたが、もはや「練習するよりコンサート」と思っています。

コンサートに行こう!

コンサートにも色々な種類があります。
大前提は「音楽を楽しむ」ということはどのコンサートにも共通です。

そんな音楽について、ここでは中高生といった吹奏楽を演奏する立場の人をイメージして話は進めたいと思います。

アマチュアとプロフェッショナルの違い

良く言われることですが、中高生のトップバンドの演奏会は満席札止め。
でも、日本のトップオーケストラのNHK交響楽団のチケットは比較的手に入りやすい。

多くの吹奏楽部員が、高校のトップバンドの演奏会に行って勉強するというのが定番です。

しかし、本来はプロフェッショナルとアマチュアでは比べ物になりません。

また、後述しますが管弦楽、吹奏楽、ソロ、アンサンブルと様々な形態で、一流の音楽家が一流の作曲家の作品を演奏するコンサートの価値はいかばかりか。

ちなみに「チケット代が高い!」というのは間違いです。

日本を代表するオーケストラは若者対象にヤングシートを設けています。

日本フィルハーモニー交響楽団はヤングシートはA席で、なんと1500円。

有名校の定期演奏会と同じ金額です。

もはや、チケット代は理由にはなりません。

そして、コスト以上のベネフィット(利益)があります。
これは間違いなくお値段以上。

というのも、「教育プログラム」ということで、多くの企業が協賛して支援してくれているから可能なシステムなのです。

これを利用しない手はありません。

ちなみに3月18日の公演は、不動岡高校吹奏楽部は6割ほど、東部支部吹奏楽団のメンバーも10名ほど聴きに行きます。

年間2回から3回は管弦楽のコンサートに行こうと思います。

3年間で結構な回数になります。
間違いなく、彼らの音楽的な土台は積み重なると考えています。

クラシックを聴こう

これまで音楽の授業で、クラシック音楽をいくらか「鑑賞」をしてきたことでしょう。

そもそも素晴らしい音楽を聴くだけで、そこには感動があふれる素晴らしい経験となります。

それでも、楽器を演奏する皆さんにとってどんな効果があるのでしょうか。

「ベートーヴェンを吹奏楽では演奏しません。」

確かに。
テューバ無いし。(12月の第9シーズンは寂しいですね・・・)
何よりサックスもユーフォニアムもいません。

打楽器はティンパニだけだったりします。

ではなぜクラシック音楽を聴くのでしょうか。

まず何より「名曲」を聴き感動するのです。

200年、300年と演奏され続ける作品。
皆さんが大好きな吹奏楽作品で、200年後も演奏されている作品はあるのでしょうか・・・。

もしかして吹奏楽と言う演奏形態すら残っているのか怪しいですね。
私は学校活動、コンクールに頼った吹奏楽に明るい未来は無いと思っています。

そしてクラシック音楽を聴くことは、音楽の歴史、皆さんが演奏している様々な作品のルーツを知る機会なのです。

バッハが確立した平均律、対位法、そして機能和声。

バロック音楽から、古典主義へ。

ゲーテが「悪魔の音楽」と評したモーツァルト、ベートーヴェンに作曲を教えたハイドン、イギリスで大成功したヘンデル。

そしてベートーヴェンです。
ソナタ形式。
ピアノの素晴らしさ。

さらにロマン主義。シューベルトです。
そしてブラームス。

ベートーヴェンの交響曲第10番と呼ばれる、ブラームスの交響曲第1番。

これをコンサートホールで聴いてほしいのです。

音楽の授業ですか?と思うかもしれません。

いや、まさにその通りです。

これは「音楽の歴史」を学ぶことと同義です。

吹奏楽のオリジナル作品であっても、これら音楽の歴史を踏まえていない作品は一つもありません。
それらも音楽の歴史を構成するわけですし。

つまり、歴史に名を残す名作を聴くことで自分の中の「音楽」がより豊かになるのです。

この作品は「ロマン派」だな。とか、ベートーヴェンの香りがする、とか。
シューベルトの歌曲のように歌うとか。

オリジナル、本物を知らずして、どうして音楽を楽しめましょうか。

感動と勉強。
とても大切な両側面を理解して欲しいです。

弦楽器の表現

吹奏楽をやっているのに、弦楽器を聴く必要があるのか?

自分の楽器しか聴かないのは、音大生あるあるだそうです。

しかし、声楽からの学びは非常に大きいです。

何より、音楽の源流は歌曲でしょう。
歌詞があって、フレーズがあって、それを自分の身体で表現する。

極めて根源的な音楽表現方法です。

さらに、弦楽器の表現力の豊かさをしることはとても重要です。

そもそも、倍音をたっぷりと含んだ、響きのあるサウンドが弦楽器の魅力です。
これはコントラバスがいる吹奏楽と、いない吹奏楽ではサウンドが別物になることでも周知の事実です。

たった1本、2本コントラバスが加わるだけでサウンドを変えるインパクトがあるのですから、これが数十人集まって演奏すれば、それはもう圧倒的な音楽が出来上がります。

そこに音色の変化、表現方法の変化、ソロ(1人)だったり、アンサンブル(複数人)だったり、トュッティ(全体演奏)だったり。

ここに、ビブラートもあって、歌とはまた違った深い表現力があります。

作曲家はこれをどこか頭の中に入れつつ、吹奏楽の作品も作曲しています。

歌も弦楽器も知らないで、どうやって音楽を作れるのでしょうか。

自分の楽器しか聴かないのは、それは人生の喜びを半分失っているようなものです。

各楽器の魅力

実は、月曜日の夜は降りしきる雨の中、東京藝術大学のサキソフォン専攻生の発表会を聴いてきました。

会場の川口リリアの音楽ホールは素晴らしいコンサートホールです。

こういうホールがさいたま市、また近隣にもあると嬉しいのですが・・・。

さて、音楽大学の専攻科によるコンサートには、もう数える事の出来ないくらい来ています。

非常に安価に、将来を嘱望される演奏家たちの演奏を聴くことができます。

芸大サックスとなれば、将来日本を代表するサキソフォン奏者になる方の学生時代の演奏を鑑賞できます。

さて、感想は一言で言うと圧倒的な楽器を操る技術

そこに、個性を発揮しようと様々な方向の音楽性を追求する姿が印象的でした。

アンサンブルもソロも非常に魅力的でした。

さらに、チェロや尺八との共演はとても興味深いコラボレーションでした。

個人的には尺八の表現力に驚きました。
「音量」ではない、表現の幅は間違いなく管楽器奏者に大きなインスピレーションを与えるはずです。

皆さん立派な音楽家でした。

聴いていた生徒も感動しっぱなしのようでした。
彼らの中には、今日聞いた音楽が心に響き続けると思います。

この経験が彼らの奏でる音楽の土台になるのです。

本物に触れる。

とても大切なことです。

最後のサキソフォン大合奏は、大好きなラフマニノフの「シンフォニック・ダンス」でした。

サキソフォン・オーケストラでこの作品を聴くのは初めてでしたが、オーケストラとは異なる魅力がたくさん詰まった演奏でした。

しかし・・・。残念ながら、本日の文脈から行くと「ラフマニノフを知らない」人もちらほら演奏している感じがしました。もしかしたらオーケストラの演奏をホールで聴いたことが無いとか・・・。

極上のサウンド、見事な技術。
それなのに、ラフマニノフの感情があふれ出る、あの圧倒的な熱量のフレーズが私の心には届きませんでした。

アゴーギグ、テンポ設定など、もちろんこだわりの演奏だったとは思うのですが、私の好みではありませんでした。

あくまで個人的な感想ですが・・・。
会場にいた皆さんはどう感じていますでしょうか。

色々な感想があるのが「音楽」です。
個々人の趣向の違いからくるものです。

コンクールで「金賞」=「上手い」みたいな誤った価値観を育て続けている吹奏楽では理解されてませんね。

「好き、嫌いで審査されては困る」とよく言われますが、それこそコンクールでは「音楽」は関係ない・・・と言っているようなものです。

私はその片棒を思い切り担いでいますので、何とかしなければならないと思っています・・・。

音楽の素晴らしを知る

これは音楽に限ったことではないですが、知れば知るほど音楽の聞こえ方は変わり、喜びは大きくなります。

ですから、ぜひただただ音楽を楽しむ上に、音楽を学ぶ喜びも知って欲しいです。

そのためには、楽器の練習をするだけでは不十分です。

コンサートホールで様々な音楽を体験してください。

何より、200年以上演奏され続けているベートーヴェンを始め、さらに歴史のあるバロックも聴いてほしいです。

会場で伝わる音楽家の息遣い。

楽器から直接伝わる振動、ホール中に共鳴する上質なサウンド。

目の前にいる人達が、至高の域に達した技術を駆使して音楽を紡ぎ出します。

どれだけのコストがかかっているのか。
音楽家が見事な音楽を紡ぎ出すまでにかかった時間と労力とお金。

それを数千円で味わえるのです。

あの空間を共有することで、皆さんの音楽人生は変わります。
間違いなく、日々の音楽の聞こえ方が変わります。

一応確認ですが、スピーカーが疑似的に空気を振動させて作り出す「音」とは別物です。

結局、DVD、CD(ってもう聞かないですね)、YouTubeでは本物に出会うことはできません。

ぜひ、コンサートホールへ行きましょう!!

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