遅ればせながら、NHKスペシャル「戦国」にて日本の戦国時代に世界とつながっていたと知りました。
この内容に、多くの世界史での出来事と日本がつながり感動しました!まさに、世界との一体化です。
ぜひ、この感動を一緒に味わっていただきたいです。
戦国時代
さて、16世紀の日本は戦国時代。織田信長が天下統一直前に倒れ、後を継いだ豊臣秀吉、その後の徳川家康へと続きます。
1603年 江戸幕府 成立
徳川家康の治世により、徐々に天下泰平の世の中となっていきました。
すると、戦国時代を生き抜いた当時世界的に見ても高い戦闘能力を持ったサムライたちは、急速に活躍の場を失っていきました。
日本国内では「戦(いくさ)」は無くなりましたが、世界にはまだまだ数多くの戦場がありました。
多くのサムライが「戦場(いくさば)」を求めて、日本を飛び出していったのです。
サムライ=傭兵
17世紀に「傭兵」として活躍した日本人。
このイメージは新鮮ではないでしょうか。
「武士は二君に仕えず」など、君臣間のつながりが強く、戦いに「意義」を見出す武士道からは「傭兵」というイメージを持ちにくいのではないでしょうか。
このサムライたちを雇ったのはオランダ商人でした。
徳川家康と強いパイプを持っていたオランダ商人は、多くの「サムライ」を傭兵として雇うことを実現しました。
この最強の傭兵を用いてスペイン(ポルトガル)の拠点であったモルッカ諸島、その他の地域で戦い勝利したのです。
このオランダVSスペイン(ポルトガル)は世界の覇権交代であり、そのカギを握っていたのがサムライ(日本人)だったのです。
オランダVSスペイン
大航海時代 アジア貿易(香辛料貿易)を独占したのはポルトガルでした。
新大陸はスペイン。(1492 コロンブスの新大陸到達から)スペインの支配が始まりました。
ちなみに新大陸産「銀」の威力は絶大でした。
ヨーロッパに流通していた銀の量が倍増して、通貨価値の下落=物価の上昇を引き起こすほどでした。
これが「価格革命」です。
その後、スペイン王フェリペ2世がポルトガルを併合(1580)して「太陽の沈まぬ帝国」を実現します。スペインの絶頂期であり、世界の覇権を握った時期でもあります。
カトリックの保護者を自認するフェリペ2世は、1555年に結ばれた「アウクスブルクの宗教和議」に強い不満を持っていました。
宗教改革
カール5世は1556年退位すると、神聖ローマ皇帝位は弟のフェルディナント(スペイン生まれ、スペイン育ち)に、スペイン王位とネーデルラント地方は息子のフェリペに譲りました。
ここから、ハプスブルク家(13世紀から神聖ローマ皇帝位を世襲)はオーストリア系(皇帝位を世襲)とスペイン系に分かれました。
1555年 アウクスブルクの宗教和議
事の発端はマルティン・ルターのカトリック批判から始まりました。
※カトリック=普遍=神
ローマ サン=ピエトロ大聖堂(聖ペテロ イエス第1の使徒 が建てた教会)の司教である「教皇」を中心とした、西方キリスト教会のことを指す。ちなみに東方キリスト教会とは、ビザンツ帝国 コンスタンティノープルを中心としたギリシア正教会。
1517年 95か条の論題 を発表。
ヴィッテンベルク大学神学教授のマルティン・ルター
ヴィッテンベルク城にある教会に95のカトリック批判を書き連ねた文書を貼りだしました。
※諸説あります。どうも張り出したのは作られたお話というのが有力のようです。
ローマ・カトリックの腐敗を徹底的に批判。
特にサン=ピエトロ大聖堂を修築するために資金を集めた「贖宥状」への批判がカトリックの逆鱗に触れました。
「贖宥状」
積極的に「贖宥状」を販売した教皇レオ10世はメディチ家(フィレンツェの豪商)出身。
神聖ローマ皇帝カール5世に働きかけて、ドイツ地方では「贖宥状」が広く販売されました。
「ローマの牝牛」と呼ばれて、教皇のいいなりである皇帝の姿勢は諸侯の批判を受けました。
これに対して、ザクセン選帝侯(ドイツの有力諸侯)フリードリヒ3世が立ち上がります。
ルターを支持して、皇帝に対して反旗をひるがえしました。
反皇帝派の諸侯にとっては、ルターの主張は都合の良い「大義名分」になったのです。
「皇帝、教皇は間違っている!」=正々堂々と戦える。だってあいつらが「神」の教えを破っているんだから!
ルターは政治対立に巻き込まれていくのです。。。
1546~47 シュマルカルデン戦争
結果は皇帝側の勝利となりましたが、この後も混乱が続きそれを収集するために結んだのがアウクスブルクの宗教和議です。
この一連の顛末がいわゆる「宗教改革」と呼ばれます。
宗教戦争
このカトリック対ルター派(プロテスタント)が、各地での宗教戦争を引き起こします。
1568年~ オランダ独立80年戦争
オランダは商人が中心の国でした。
フランドル地方(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの辺り)は中世から毛織物産業(羊毛)で発展しました。
商人たちの多くがカトリックからカルヴァン派に改宗していました。
カルヴァン
フランス人の宗教家カルヴァンはスイスで宗教活動を展開しました。
その主張はルターと同じく、カトリック教会の批判に満ちていました。
福音信仰 聖書(福音)にのみ従う。
長老主義 カトリック教会に見られる、教皇中心の厳格な序列(ヒエラルキー)を否定。
※神の下の平等
予定説
神の定めに従うことで救われる。
神は「職業」も定めているので、自らの職業に専念する事は救いにつながるとした。
ここで、商人の「蓄財を肯定」する、という重要な判断を示します。
カトリック教会においては、「汝分け与えよ」の教えから、商人に寄付・寄進を要求しました。
ところが、カルヴァンは商人の「蓄財」は仕事の一環(仕入れのための資本)として、肯定的に解釈したのです。
これにより、商人は苦悩することなく「信仰」を持つ事が出来るようになりました。
そして、多くの商人がカルヴァン派へ改宗したのです。
フェリペ2世
スペイン王フェリペ2世は、このカルヴァン派の信仰を認めませんでした。
これに反発した新教徒との対立は、ネーデルラント地方での宗教戦争へと発展しました。
これが後のオランダ独立へとつながります。(1648年)
これと並行して、アジアでの覇権争いも起こっていたのです。
フェリペ2世の死後スペインが衰退すると、オランダが覇権国家となりました。
オランダはありとあらゆる商品を世界中で取引しました。
1618~48 三十年戦争 では大量の武器を輸出しました。
そして、この時オランダが持ち込んだ大砲は日本の銅を使用していたのです。
サムライ、そして鉄砲、大砲と世界に誇る軍事大国日本。
かつて無謀にも世界に戦争をしかけた日本は、さかのぼる事350年ほど前にその片鱗を見せていたのかもしれません。
日本と世界のつながり。
大変興味深い歴史です。
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