令和3年6月16日(水)
ここの所のルーティンは、朝は中高生の基礎英語in English、ラジオ英会話、まいにち中国語を視聴。帰りは、YouTubeでリベラルアーツ大学、本要約チャンネル等々、経済、健康の勉強タイム。
通勤時間は貴重な勉強時間になっています。
メンタリストDaigo 氏の怒り
メンタリストDaigo氏がまさに「ブチ切れ」状態で、放送している動画をたまたま見ました。
彼の動画は以前、健康系の内容を何本か見たのですが、それでお勧め動画にアップされていたのでしょう。
何かな~?と思ってみてみると
なかなかのお怒りモードで、思わず最後まで聞いてしまいました・・・。
ちなみにこの問題の下の動画は以下のもの。
これまた。。。
かつてDaigo氏は中学校の教員から、身体的特徴について酷い仕打ちを受けた経験があったそうです。悩める中学生に、「自分も似たような経験がある。学校はそこまでものではないから、距離を取る選択肢もある」という内容のアドバイスだったそうです。
ここまでは、よくある話だな~で終わるのですが
この動画に対して、母校の高校時代の担任から(中高一貫校)、「実名を入れた学校批判が広まっていると生徒から聞いた。削除しなさい。」という内容のメールが来たそうです。
これに対し怒り心頭の氏は、実際に自分が受けた仕打ち、今回の件の何がおかしいのか、について語っていたのでした。
これを私が取り上げたのは、なんとその仕打ちは私も経験があったことなのでかなり共感してしまったのです。また教員として、心がけるべき内容であるとも感じたからです。
1 Daigo氏を傷つけた事件
Daigo氏は「天然パーマ」だそうです。きれいにパーマをかけているのかと思うほど。
かつて、それをめぐって中学校(中高一貫校)の体育教師(ここまで言うとわかる人にはわかるでしょうね・・・)によってパーマを直すよう指導を受けたのでした。
泣く泣くストレートパーマをかけると、今度は髪が傷んでしまって少し茶色になってしまいました。
すると、それをさらに黒染めするように指導されたのです。
私も天然パーマで随分といじられました。何と言ってもあだ名は「パーマン」でしたから・・・。
まあ、それについてあまりにも舐めた態度の友人がいたので、ちょっと痛い思いをしてもらったらそれ以降は誰にも言われなくなりました・・・。
まあ、子ども同士は幼さ、未熟さから時に残酷だったりするものです。
だからといって許されるわけではありませんが、仕方が無い面もあります。
私は先生から、ここまでひどく言われたことはありませんでしたね。
そもそも田舎で、パーマをかけるわけもない・・・。
とはいえ、非常に荒れていた中学校だったので、パーマ、リーゼントの方々も多数いらっしゃいましたが・・・。
さて。
彼の主張する、Daigo氏への生徒指導は非常にまずい内容です。
気になったのは、その教員一人の指導だったのかという点。
普通はクラス担任、学年、多くの先生方が関わる内容。そもそも身体的特徴に関しては、学年間で共有されるはずなのですが。そんな事はしない時代だったのでしょうか・・・。
本来であれば、行き過ぎた指導があった場合、それを何とかフォローするということは実際にあることで・・・。特に若い先生は血気盛んだったりしますから。
ステレオタイプはよくありませんが、体育会系の指導というくくりでDaigo氏は語っていました。
そのように思われてしまったのですね。
同業者として申し訳なく思いました。
2 問題教師
その体育教師が、かつての行き過ぎた指導をすっかり忘れて、最近になって有名になったDaigo氏に何かお願いしてきたそうです。
そりゃ怒りますね。相当な油を注いだわけです。
3 高校の担任からのメール
そこに、高校時代の担任からのメール。
内容が「教師と生徒の関係」を感じさせる書き方であったそうです。
つまり、上から目線ということです。
ああ、「教え子」だという思いが、配慮を欠く書き方になったのでしょう。
また、安易にメールという方法を選択したことも、関係悪化の原因と考えられます。
直接電話でお話しすれば、スタートはずれていても修正が可能だったと思います。
すでに学校名がはっきり出ていて、該当者が分かる人にはわかってしまうでしょう。
この落としどころはどこにあるのか・・・。
当の本人(体育の先生)も苦しいですね・・・。こんな形で残念な情報が拡散する事になるとは、夢にも思わなかったでしょう。
さて、私はこの動画を聞いていて、とても悲しい気持ちになりました。
なおかつ、これは他山の石と思ってはいけない。
自分も同じような事をしてしまっているかもしれないし、これからも気を付けなければいけないと思いました。
4 生徒指導
生徒を見て、生徒のために指導する。
不動岡では「指導」が必要な場面はあまりありません。
基本的に生徒を信頼していますが、もちろん目に余るときもあります。
(圧倒的に男子が多いですね。あ、これは差別ではなく事実です。)
そんな時は声をかける事もしますが、出来るだけ「自分自身で気が付くまで待つ」という姿勢です。
これは学校によっても、生徒によっても異なりますが。
5 卒業生
やっぱり卒業生が活躍すると嬉しいものです。
それが、卒業生本人にとってうれしくないという事もあるんですね。
私自身の想像力が貧困だったと反省しています。
そもそも、学校を卒業したらいったん関係は終了しています。
それでも卒業生が学校、教員を大切に思ってくれていれば、それに感謝しつつ良好な関係を持つことも出来るでしょう。
しかし、かつて在籍した、というだけでいつまでも教師としてふるまうのは勘違いということです。
特にこの点がグサッと刺さりました。
とても気を付けようと思いました。
実際に、教員という仕事を選択してくれた卒業生たちに、「恩師面」して接してしまっていたかもしれません・・・。
心の中で、いつまで教師と生徒の関係のつもりだよ!って思われていたかもしれない、と思うと恥ずかしい、情けない、と思いました。
Daigo氏が繰り返し主張していた事
「教員は社会人ではない」
社会経験のない教師は、世間の流れから逸脱しても気が付かない。
はい。おっしゃる通り。
今読んでいる「レ・ミゼラブル」の女子修道院ほどではありませんが、学校は隔絶された特殊な環境です。
相手は常に生徒。保護者はとても気を遣ってくださいます。
そんな中で勘違いしている教員もいるのだと。
まさに彼を傷つけた教師のように。
だから、学校は信用できない!というご意見。
これについて、私たちは真摯に受け止めないといけません。
学校は私にとっては夢の世界。
大好きな歴史を勉強して、教えて、あとは好きなだけ音楽をやる。
9割がた好きな事をして過ごしていますから、「世間の厳しさを知らない人間!」とバッサリ切られるのも当然かもしれません。
とは言え、そんな楽天的な人間だからこそ若者の夢を応援できるのかもしれません。(開き直り!?)
でも、教師が知見を広げるための、本当に重要な「研修」は必要だと思います。(形だけのではない研修)
朝から晩まで働き詰めの先生方。
私は違います。私は好きだからやっているので、全く何のストレスもありません。
しかし、小学校・中学校の義務教育の先生方はとてつもなく忙しい。
この状態で更に知見を広げなさい、生徒をよく見なさい、指導力をつけなさい、と次々に高い要求を突きつけられるのは酷ではないでしょうか。
これでは「教員になりたいです!」という若者は減りますよね・・・。
ちなみに、今年の教育実習生は17名ほど。
かつては27名!(全クラス実習生が配置されていました)という年もありましたから。
この仕事のすばらしさが、在学中の彼らに伝わっていないのだな~と思っています。。。
責任は私たち教師はもちろん、社会全体、大人にあるように思います。
かつて、日本は「教育立国」を目指していました。
「学校」への期待、リスペクトはかなり高いものでした。
しかし時代が進み、世の中の要求は変化しています。
学校は柔軟に時代のニーズに対応する事がとても苦手。
そして、保守的な思考を中心になるべく例年通りで日々が過ぎています。
改革には予算も必要。人も必要。
改革断行する人材、継続すべきはポリシーを持って継続する人材。
やっぱり若者は不可欠です。
その点で義務教育の限界、高等学校ですらどんどん改善していくべきと感じています。
この先、学校に求められる要求は高まるばかりなのでしょうか。
もちろん最大限の努力はしますが、「元気があれば何でもできる!」ってアントニオ猪木みたいにはいきません・・・。
道のりは険しいです。
特にこれからは。
なんだか、そんなことを考えさせられました。
学校をより良い形にするという事は、一体どういうことなのか。
じっくり考えようと思います。
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