マンボウ
久しぶりに新型コロナウィルス感染症について。

非常に分かりやすいまとめ記事です。
ご一読ください。
もう分かり切っていますが「感染力」が高いこと。
その他の特徴は
沖縄(最初にオミクロン株が拡大した地域。米軍基地が感染源でしたね。)
2,214名のデータですが、39歳まで中等症Ⅰ・Ⅱ 合算で
1.8%
最近ではデータも積み重なってきて、より確実にこれまでに比べて重症化しにくいということが分かっています。
問題は、このオミクロン株は「インフルエンザ」のような扱いができるのか?
という議論。
これを踏まえると
超過死亡率(WHOが設定した、感染症が流行したことによって死亡者がどれくらい増加したかの推定率。)
インフルエンザ 0.01~0.052 (インフルエンザ関連超過死亡率/推定患者数)
新型コロナ 4.24%(デルタ株まで) 【新型コロナ関連超過死亡率/累計陽性者数】
0.13%(2022.1~2 オミクロン株が主流)
ということで、重症化率の低いオミクロン株でもインフルエンザの10倍というデータが出ています。
これをどのように受け止めるか。
日本と欧米は全く同じ数値ではありませんが、これをある程度許容範囲として社会生活再開を選択しています。
今後、3回目ワクチン接種が進み、併せて感染が拡大したことで集団免疫が形成されると感染拡大も収まることが予想されます。
その後、3~4か月後に訪れる事が予想される第7波。
※さらなる変異株にワクチンが効果が無い場合は同様に社会活動の制限が加えられるはずです。
この時に適切にワクチン接種が進み、上記の数字が下がるとより「インフルエンザ並み」に変更しやすくなるでしょう。
蔓延防止等重点措置
さて、この飲食店の営業時間制限にはどのような効果があったのでしょうか?
また、ワクチン接種が進んでいない子どもたちに感染拡大したことを受けて、各地方自治体が判断して教育活動の制限をかけています。
もはや、何度目かもよく分からないこの制限。
ポイントは
子供が感染して、そこから家族感染して基礎疾患のある家族が重症化することを防ぐ。
そのための、学校内での感染拡大を防ぐ必要があるということです。
これは一理あります。
しかしながら、10代以下の感染者数に対して重症化、死者のパーセンテージはどうでしょう。
まだ死者は数名です。
明らかにインフルエンザよりも危険度は低いのです。
さらに、教育に対する制限はどのような影響があるでしょうか?
不登校の増加
不登校の原因は生活のリズムが崩れる、また家庭の経済状況、家庭内不和など、教育活動の制限だけが要因とは言えません。
しかも不登校の生徒は増えていますが、データとしては集計しにくい理由があります。
それは、出席停止扱いとなり、欠席にはならないからです。
発熱のみならず、「感染不安」(感染が怖くて登校できない)も出席停止扱いとなります。
すると、「隠れ不登校」となり、不登校生徒の数はデータ上激減しています。(2021年)
ということで、自分の知りうる範囲しか分かりませんが「隠れ不登校」は激増しています。
そして、転学・退学の数も増えていると感じています。
児童・生徒の自殺者数。
この数。明らかにコロナの影響で苦しんでいる児童・生徒が増えています。
中学生 112人(令和元年) → 146人(令和2年)
77%増加
高校生 279人(令和元年) → 339人(令和2年)
82%増加
ここまで明確に数字として出てしまうと、もう説明も不要です。
いかに、児童・生徒に教育活動の制限がダメージを与えているか。
教育活動の制限による「不登校」、「自殺者数」という分かりやすいデータを見ました。
影響は、もちろんそれだけではありません。
学力低下、経済格差による学習環境の不平等など、実際に教育現場では限界を越えた対応を迫られています。
命の大切さを訴えるのであれば、間違いなく学校を止めるべきではありません。
守れたはずの命。
コロナによってではなく、政治決定を下した大人たちに奪われた命です。
このことを決定権者である為政者はしっかりと認識すべきです。
プーチン大統領のウクライナ侵攻ほどではないですが、政治決定によって失われた命の重さを自覚していただきたいです。
知らなかったでは済まないのです。
もう取り返しはつきません。
政治家をどこまで信じるのか?
ウクライナ戦争で、世界中が「独裁者はまずい!」という認識を持つようになったことでしょう。
さすがにあそこまで行くと・・・。
でも、別の観点から見ると「権力者」は誤った判断をすることがあるという認識をどれだけ市民が持てるのか?とも言えるのです。
多かれ少なかれ、政治決断の正解・不正解には歴史の審判が下るまで時間が必要です。
となれば、その時代に生きる私たちは政治決定を、そのまま素直に受け入れる事が良いでしょうか?
コロナもウクライナ戦争も、私たちに大きな示唆を与えてくれています。
マンボウの付随する教育制限は、その正の部分(感染症を止める)と負の部分(若者の未来を奪う)のバランスが明らかに崩れています。
上記のデータを見て、それでも教育活動の制限は重要だ!と言う方もいるでしょう。
多様な意見は大切です。
でも、現場の教員は肌感覚で「バランスの悪さ」をよく分かっています。
また、ご家庭でもお子様を見ていて、よくご理解いただいていると思います。
我が家の子供たち4名もばっちり影響を受けています。
インドア派の男子2名は全く我が世の春と言わんばかりに、一日中家に閉じこもっています。
まあ、こういう人間ももちろんいます。
本当に青っ白い、あと若くしてメタボな男子2名です。
大丈夫か!若者たち!!(金子家限定)
私たちはどう考え、どう行動するのか。
生徒には常に言っていますが、「思考停止はダメ」です。
ブラック校則
メディアで話題になったブラック校則。
まあ、社会通念が変われば、学校も変わりますね。
これこそ「思考停止」の極みかもしれません。
私も生徒指導と称して黒染め、髪の長さ、制服の着方などを指導しています。
まあ、現任校ではほとんど必要ありませんが・・・。
不動岡での生徒指導は「爪切りなさい!」、「ボタン付けなさい」、「裾をきれいに始末しなさい」ってお母さんみたいなことを言うくらい。
こっちの方がブラックっていうか、恥ずかしい校則ですよね。
ちなみに厳しく追及もしません。
それは、必要がないからです。
不動岡の生徒は校則で縛らなくても「品」のある、身だしなみの意識がある生徒がほとんどです。
ここで大切なのは「ほとんど」という点。
教育で「完璧」を求めたら辛いです。お互い。存在しない目標への努力は辛い。
数名例外はいるものです。常に!
「思考停止」している大人は、そこのところが分かりません。
今目の前にいる生徒が一体どういう状態なのか、どういう人間なのか、その点を考えずに「ルール」で縛るからおかしなことになるのです。
そもそも、そのルールは何のためにあるの?
この問いに自信をもって答えられるものだけ残せばいいと思います。
「どーでもいいルール」を守らせることにエネルギーを注ぐのは不毛です。
不動岡にはいませんが「大丈夫ですか?」と心配になります。
4月から長男の通う学校の校則は
「他人に迷惑をかけない。」以上!
素晴らしい。何と清々しい。
制服もありません。(私服をいっぱい買って着飾るように・・・ならないだろうな。)
制服をやめるのも一つの方向性だと思います。
実は、結構本気でいいんじゃないかな~と思ったりしています。
まあ、却下されるでしょうけど。
夏服だけでもジャンパースカートを変えてみたら?と提案したとき
それこそ、パンドラの箱を開けてしまったかのような数多の圧力がかかってきました。
いや~伝統校って恐ろしい面がありますから。
基本、地雷原を無神経に突撃するタイプなので、あちらこちらで地雷を踏みます。
それでも木端微塵にはなっていません・・・。今のところ。
10年もいると、大体どこいら辺に地雷があるのかも分かってはきましたが・・・。
ま~分かっていても、進まなければならないときもあります。
「進取の気風」って実は不動岡の校訓。
時代を先取る勇気をもってやって欲しいですね。(他人事ってわけではありませんが。自分のやれる範囲では頑張ります!)
そして、「ルール」を疑う、良き市民としての自覚を育てるのも大切ではないでしょうか。
ウクライナ戦争で開かれたパンドラの箱。
日本でも「軍国主義」が復活しないためにも、「なんでも言う通り」の若者にしない!と思っています。
教員が言ってるからって鵜呑みにしない!
お国が言ってるからって鵜呑みにしない!
常に、自分の価値観で判断する習慣を持ってください。
お互いの意見がぶつかり合って、納得するまで話し合うということは素晴らしいことです。
それは、お互いに主張すべき自分の価値観を持ち、かつ相手を尊重しているということですから。
そうやって、自分を磨き、高め合うのです。
あ、なんだか偏向教育と怒られそう。
でも、この国をぶっ壊す!くらいのエネルギーが無ければ世界は救えないとも思います。
注)内乱罪(刑法第77条)に当てはまる言動ではございません。
とにかく!
マンボウをぶっ飛ばそう。(あ、これが一番言いたかったことです)
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