令和4年1月14日(金)
とうとう翌日に大学入試共通テストとなりました。
3学年担任ということで、このオミクロン株の急拡大で不安が広がる中、色々と対策を検討してあっという間に時間が過ぎ去りました。
感染症対策もあってでしょうが、とにかくこの1週間クラスは閑散としていました。
20人以上の欠席・・・。
私が今までに経験したことのない欠席数でした。
ここまで感染者が広がると仕方ないかもしれません。
でも!
その分、せっかく来てくれている生徒には来たことに見合う授業(演習ですけど・・・)を!
と気合を入れて頑張りました。
ちょっと盛り上がりすぎて止まらなくなってしまいました。
クラスの生徒が、「世界史の楽しさに気が付きました。」と日誌に書いてくれました。
ありがとう。
素直にうれしいです。
そんな言葉を言ってくれるなんて・・・。感動です。ちょっと泣きました。
人間万事塞翁が馬
いいことがあれば、悪いこともある。
どうなるのか!?FWO第59代。
これまで不動岡高校吹奏楽部で10年間顧問をしてきました。
この学校、この部活の強みはひとえに「生徒一人一人の力」です。
本当にしっかりしていて、頼りになるメンバーばかりです。
ところが!!
冬季演奏会(旧新人戦)も終わり、さ~ここから!と思ったところで急ブレーキ。
いつから部活が再開できるでしょうか・・・。
しかし、ここでしっかりと一人一人の考え方を聞き合い、本気で活動するFWOに進化しましょう。
この山を乗り越えたメンバー。
全力で応援します。
一緒に思い切り音楽しましょう!!
これまで60年間積み重ねてきた不動岡高校吹奏楽部。
第49代
私が引き受けた10年前の第49代の皆さん。(当時3年生)
指導できたのはたった2か月ほどの時間でしたが、本当に素晴らしいメンバーでした。
コンクールでは私の力不足で結果を出してあげることができませんでしたが、とにかく部活に行くのが本当に楽しみで、放課後が待ち遠しかったです。
転勤したばかりの部活は本当に難しいものです。
前回、久喜高校へ転勤したときに私がうまくやれず生徒の皆さんに残念な思いをさせてしまいました。
今でも深く反省しています。
今回は繰り返さない!と緊張感を持っていたのですが・・・。
驚くべきは、対等に話ができるということ。
私が「こうした方がいいんじゃない?」と言えば、言われた通りではなく、自分たちで咀嚼して実行してくれました。
わからないときには「ここがうまくいきません」と言ってきました。
合奏が終わって雑談していても、ああ大人だな!と思ったのが思い出されます。
打楽器で初心者から始めた男子。
中学校は私が初任だった学校のそばの中学校。
なんと野球部でした!
慶応大学に進学し、現在は鉄道会社に勤務なさっています。
吹奏楽っていいですよね~。
って、君高校生?って感じでした。
もちろん、個性派もたくさんいらっしゃいました!
昼休みに某ビザチェーン店の宅配を頼む生徒も・・・。
現在はマスコミ関係で大活躍です。
第50代
50代はやっと長い時間をかけて一緒に音楽を作り始めた代でした。
幹部が暴走気味で、部長・副部長・学指揮の息がぴったり。
だからブレーキがいない。
でも思いはすごく伝わって、どんどん新しいチャレンジをしてくれました。
ディープパープル・メドレーを演奏し始めた代でもあります。
この時代、全国大会は3年連続出場すると翌年はお休みという制度がありました。
そのお休みの学校が集まって演奏するコンサートを文京シビックホールに行きました。
そこで、愛工大名電のディープパープル・メドレーに衝撃を受けたのです。(生徒が)
私はあんまり趣味ではなかったのですが・・・。動くの大変だし・・・。
どうしても!と始まったのが今の定番DPです。
「信心響伝」もこの代が考えました!
第51代
その次は私と一緒に不動岡高校に入学した代。
これまた部長が突っ走り気味。
あ、ちなみに現フライングカープウィンドオーケストラの団長ですけどね。
熱かった~。清々しいくらいに空回りしていましたね。
学指揮も強烈で、日本語が通じない・・・。
あ、一人はフライングカープウィンドオーケストラにいるね。
ちゃんと先生やってるから大丈夫・・・かな~。
かなりの個性派集団。
打楽器も強烈な一匹狼。
早稲田大学へ進学しました。
気持ちが本当に強かった!
サックスには謎の空手少女がいましたね~。
もう一人は文教大学でクラリネットになっていて、西関東大会の会場で再会してびっくりしました。
ホルンもすごかった。一人は大学のオーケストラで代表をやって活躍していました。
この代は相当に紆余曲折を経て、最後はしっかり県大会で銀賞を受賞できるまでの演奏になりました。
第52代
キラ星のごとく、素晴らしいメンバーが集まりました。
学指揮でオーボエのスーパースターは本当に上手でした。
同じくトロンボーンのエースは東京音大に進学しました。
このオーボエがとてつもなく強烈で、周囲のメンバーはかなり苦労していましたね。
でも、その情熱は本物。
一番練習して、一番上手で、自分にも他人にも厳しい。
いや~苦しい!でもすごかった。
この年、県大会で次点で代表を逃すまでの演奏になりました。
なんと1点差。
惜しかったな~。
ちなみに彼女も小学校の先生。
あと、打楽器にスーパースターがいました。
彼こそ、不動岡高校吹奏楽部を託す人材だ!!と期待していたんです。
東京都の先生になってしまいました。
とにかく、ずば抜けた実力の持ち主がたくさんいました。
第53代
この代は部長が初心者打楽器男子!
しかも、3年で応援団長をやるという元気のよい人間でした。
とっても明るくて、勢いがあって、なかなか個性的でした。
学指揮のフルートが上手だったのが印象的です。
ホルンの副部長は大変優秀で、お茶の水女子大学へ進学し体育会のバレーボール部に所属していました。うん!?バレーボール?
この代はみんなが優しくて、最後まで苦労しましたね。
みんなが遠慮していて、初めてグッと私が引っ張ることをした代でもありました。
雰囲気はとっても良かったし、楽しい部活でした。
第54代
この代が初の西関東大会出場。
部長のユーフォニアムがビシっと言えるタイプでした。
いや、学指揮も実は相当に厳しかった(いや怖かった・・・)そうです。
私の前ではいつもニコニコしていて、いや~みんな笑顔で助かるな~と思っていましたが。
練習は相当厳しくやっていたとのこと。(後輩談)
この代はフルートはエース。この人もフライングカープウィンドオーケストラで吹いてくれています。
どのパートも信頼できるメンバーが集まっていました。
課題曲5番がとてつもなく難しい上に、自由曲も強烈に難しかった・・・。
でもやりきりましたね。
生徒の力に助けられました。
ぶつかり合って、鍛えあった代でした。
初めてシンガポールにも行きましたね。
第55代
いや~この代は本当に・・・。
思い出しただけでも、毎日がエキセントリック過ぎてお腹いっぱいです。
部長は真面目一直線のユーフォニアム男子。
不器用で、なかなか思うような言葉が出ない。でも誠実さで信頼を獲得していきました。
学指揮の二人がぶっ飛んでました。
木管学指揮はなかなか日本語が通じない。
あ、今フライングカープウィンドオーケストラで吹いていますね。
だいたい話を聞いてないんですよね。
練習予定が思うようにいかず苦労しました。
そして。金管学指揮。
私が来て不動岡高校史上最高の問題児でしょう。あ、現役のユーフォニアムにもいたな・・・。
音楽への愛情、楽器への愛情は分かるんです。
でも、自分の中で納得いかないとパート練習をやらない。学指揮なのに。
いや、練習予定も考えない。
も~何度も学指揮を変えてやる!って思いましたが、そのたびに彼が泣きながら思いを訴えました。
よし、ここから頑張ろうね!ちゃんとパート練習やろうね!となって、1週間ほどで元の木阿弥。。。
結局、3年生になって引退するまで変わりませんでしたね。
音楽への愛情。
それが彼の最大の魅力でした。はい。
真面目な部長がその金管学指揮男子に影響されて、コンクール前に暴走して孤立・・・。
結局話ができるのは副部長のみ。
この副部長が苦労して、よく地歴研究室で泣いてました。
ま~とにかく大変でした。
他にも大爆発する生徒が複数いて、毎日保護者と長文のLINEをやり取りする日々でした。
あれはあれで楽しかったですね~。
この代のメンバーが多くフライングカープウィンドオーケストラにいるのも嬉しいことです。
私が一番勉強になった、成長できた、キャパシティーを広げてくれた代です。
あの時に比べれば!って感じです。
振り返っても、よく頑張ったなと思います。
自分をほめたい。
第56代
再び西関東大会出場を果たした代。
強烈な3年生(だったようです)、さらにぶっ飛んだ2年生に鍛えられてちょっとやそっとでは動じない強さを身に付けていました。
部長のトランペット男子が、マレーシアとの国際交流で朝5時に加須駅で別れる時に号泣していたのが今でも思い出されます。
私も鍛えられたのか、この代は刺激的な体験がほとんどなかったような・・・。
み~んないい子。
でも根性がありました。
生徒同士で結構やりあっていたようですけど、それを私にまで持ち込むことがありませんでした。
初期の頃のような大人な対応が出来ていたのかもしれません。
決してスターのような腕前の生徒がいたわけではないのですが、本当に頑張って成長してくれました。
その成長は目を見張るものがありました。
不動岡高校吹奏楽部のポテンシャルの高さを見せつけた代でもありました。
第57代
この代がコロナでコンクールが中止になってしまった代。
部活が出来なそうだ!となったときに、パストラルかぞの音楽室、小ホールなどを山ほど抑えて楽器を運び込んでせめて個人練習を出来るように!と準備しました。
結局、パストラルかぞが貸出禁止となってしまい、翌日に部長のお父さん、その他の保護者の皆様にご協力いただき楽器をこっそり学校に戻しました。
結局、コンクールは中止。
でも8月に定期演奏会をやり節目とすることが出来ました。
実は、この代はどのパートも実力者が揃っていました。
自信を持って定期演奏会、コンクールに臨めるメンバーでした。
本人たちも同じように思っていたはずです。
本当に悔しい・・・。
でも、私なんかより生徒たちがもっと悔しかったはず。
それなのに、腐らず、諦めず、最後まで誰一人かけることなく頑張りました。
実は、パートレッスンの先生のお宅で個人レッスンをしてもらっていました。
テューバはバス乗って先生のお宅まで行ったそうです。
私が知らないところで、リモートで「飛翔」(不動岡高校吹奏楽部のテーマ曲)を録音して動画を作成していました。
何から何までコロナだった代。
でも、彼らのために何ができるか!って思があったからコロナでも頑張れました。
やっぱり生徒の力に助けられてきました。
本当に、よく最後までやりましたよね。
コンクール無いんなら意味ない
練習しても意味ない
思うように上達しないからもういいや
って言葉が、少なくとも私の耳には入りませんでした。
なんでしょう。
大人だって打ちのめされているのに、なぜあんなに前向きに取り組んでくれたのでしょう。
私にとっては輝かしい、奇跡のような代です。
そして59代
卒業していったメンバーたちを思い出してみると、どの代をとっても一筋縄ではいきませんでした。
文章にしてみると、結構苦労してたな・・・と思い出されました。
ということで、第59代。
どうなりますかね~。
どうなっても、最後までやり遂げたメンバーは最高のFWOを作り上げてくれるます。
それは間違いありません。
多くの先輩たちに渡されたタスキは大切に、そして60代に渡しましょう。
第59代一人一人の行動にかかっています。
頑張れ!!
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