今から75年前。かつて日本が軍国主義だったころ、特に戦争末期になってくると大本営発表を本当に国民は信じていたのか?と疑いたくなる。本当に日本国民は愚かだったのだろうか。
実際に国民の多くは「怪しいな~。本当は負けてるんじゃない?」と思っていただろう。それでも、国家権力によって押さえつけられ、思ってはいても口には出せなかったという事が一般的な理解である。
さて、昨今の「コロナ対策」である。
歴史を学び、教える者として、この状況が彼の大戦下の状況に似ているように思えて仕方がない。
この方法が本当に正しいのか?という問いに、誰も答えが出せない。予想ではあるが、決定権者も暗中模索の中での、迷いながらの決断が多いのだろう。(迷い、ブレは相当に目立っている・・・)
そうなれば、当然決定には「矛盾」が含まれ、市中には「混乱」が生まれる。
ここで、決定権者の責任を追及しても何も得るものはない。時間と労力の無駄である。
なぜならば、「政治決断」に「完璧」は無いからである。
私はほとんど目にしていないが、日々ニュースにあふれる、またテレビ番組にあふれる、政治批判、決定についての粗探しほど無駄なものはない。そもそも、粗はありまくりで当然なのである。
しかしながら、なぜそれらが垂れ流され続けるのか。
それはそのような情報を求める人間がいるからに他ならない。視聴率が取れない番組は存続しないはずである。
私たちは「市民」として、「自分の頭」で考えなければならない。
このような時こそ、他人に判断を任せるのではなく、思考を止めるのではなく、物事を客観的に批判的に、そして科学的にとらえるべきである。
繰り返すが、「政治的決断に完璧は無い。」これまでに一度もないし、これからも無い。もし「これが最善の策だった」と言う決定権者、その取り巻きがいたらそれは「自己満足」である。選挙で選ぶべきではない。そうでなければ、また同じような質の低い決定を繰り返すだろう。
さて、とっても固い雰囲気で語ってまいりましたが・・・。
現在埼玉県公立高校のみ部活動は停止となっています。
※公立高校のみ!公立の、高等学校のみ!
例外規定として公式戦が開催される部活動は、特別に活動が認められています。先日も剣道部の大会、卓球の大会などがありました。また、吹奏楽部もソロ・アンサンブルコンテストの大会に向けて活動を認めてもらっています。
ちなみに、朝練、昼練、放課後と普段以上に気合いが入っている部活もありますね~。
この状況はまさに「矛盾」です。
高等学校の部活動は感染拡大の原因である。だから活動を止める。
これが埼玉県の公式見解なわけです。
でも公式戦が開催される部活動があります。主に高体連。ちなみに高文連は一切ストップ。
どちらも県の組織ですが、方や高校の部活動を止める県知事と諮問機関の感染症対策チーム。何とか生徒たちの活動の場を作ってあげたいと考える高体連。あ、高文連が考えていないってつもりはありません。
はっきり言って「どうしようもない」政治的な決断だから、こんなゆがみ、矛盾が生じるのです。
これは日本の政治が抱える大きな問題ですが、政治にかかわる人間は「何かをする」ことで評価されるのです。「結果」ではない!ということが問題。
やるまでは散々議論して、やり始めたらもう過去の話。
結果を踏まえての改善、PDCAのサイクルはどうなっているのでしょうか・・・。
例を挙げればキリがありませんね。
不動岡も一生懸命に取り組んでいる、東日本大震災関連の問題もそのうちの大きなものでしょう。福島第一原発から日々生まれる、放射能に汚染された地下水は海上放流となる。実際、それをしなければもう保管場所がありませんから仕方ないですよね。
そのデータについて検証、検討はされているはずですが、国民に積極的に告知する気はあんまりないでしょうね。各方面への配慮の結果。
ちなみに先日も話題にしましたが、電気自動車に切り替えたら不足電力は原発5つ分だそうです。どうするんですか?いや~それはこれからって感じですかね。やっぱり「結果ありき」の政治決断ではないでしょうか。
さて、この状況は何を根拠に?となると、埼玉県が出した「高校生の部活動は感染拡大の原因となっている」としたデータ。ご覧になった方はいらっしゃるかもしれませんが、小学校、中学校に比べて高校生の部活動でクラスターが発生している、という数値が載っています。
ちなみに感染症が出た部活は運動部。それも練習中なのか、部室なのか、色々と状況は異なるでしょう。やはりマスクが無い状況で、大きな声を出しての会話は感染リスクを高めるでしょう。
そもそも「部活動」をひとくくりでまとめる、これ自体が最早「アピール」以外の何物でもないでしょう。あと、義務教育と高等学校では分母が違いますよね。
先日、昨年度末からの学校休校が感染症拡大にどのような効果があったかを検証して、「効果は確認できなかった」と専門家が発表していました。
ぜひ。検証していただきたいです。
「やることに意義がある」的な、そういう政治にははっきりとNOを突き付けるべきです。ちなみにそういう無茶苦茶な事をやっているから、実は官僚が、政治家が会食に行ってましたというくだらない足の引っ張り合いが始まるのです。醜いですね。
映画「記者たち」ー衝撃と畏怖の真実ー
そこで語られるイラク戦争の真実。最後までイラクのフセインとアルカイーダにつながりは無いと主張し続けた「ナイト・リッダー社(新聞社)」の記者が取材した専門家、政府高官が「結果ありき。それに当てはまるデータを集めた。」という話が出てきます。そもそも諸事情によりイラクを叩きたかった。フセインを叩きたかった。そのための理由を探して、戦争して、3日で40兆円の兵器を使いまくった(PRしまくった)わけです。
詳しくは来年の現代史補習にて。
あのアメリカでも!このような残念な「決定」を、金科玉条のごとく言う人間もいたのです。
「イラクは悪なのだ。」それは「大量破壊兵器があるからだ。」と。
「ワシントン・ポスト紙」ですら、終戦後に「大量破壊兵器」が見つからず、全面謝罪文を掲載することになりました。
表題の時代の教員。
もちろんあの時代に生まれて、「こんなことは間違っている!」なんてことを言ったら、即特高警察につていかれ、拷問の末、突然死となったでしょう。でも、中には「思考停止」して、積極的に軍国主義的教育を実践した人間も多いのです。
今、このような状況で、「矛盾」のある決定に苦しんいる方も多いです。特に経済的な困窮は想像を上回るはずです。実際、私の通勤経路でも何軒もお店がなくなっています。ものすごいスピードです・・・。何が「最善か」という評価は、のちの時代まで待たなければならないでしょう。
緊急事態ですから、「全体主義」的に物事が動くことはある程度許容するのは仕方ないでしょう。
ドイツのように、「マスク着用」に反発してデモ行進っていうのもすごいですよね。たぶんああいう国の「指導者」はやりずらいでしょうね~。
それに比べて、日本は「とってもやりやすい!」でしょうね~。
そこを考えなければいけません。
「品格あるリーダー」たち。
自分の頭で考えて、行動してください。国家権力の出先機関である学校も当然「矛盾」がたくさん。
大人たちがいつも正しいわけではありません。
この「○○」みたいなルールを、本気で「守ってるから正しい」と思っている人もいるんです・・・。その「ルール」は大丈夫か?っていう疑問は無いんですね。やばいですね。
それに対していちいちぶつかっていたら物事は進まないでしょうから、お勧めはしません。でも、思考を止めてはいけません。自分の価値観で判断して「おかしいな?」と思う事、感じる事は大切です。
まさに今。「おかしいな?」という今こそ、やるべきことはやる、出来る事はやる。無ければ探す。
繰り返しますが、「政治的決断に完璧は無い」のです。
そして、本日一番言いたいのは「他人の決断」は「私の決断」ではないという事。
常に自分の頭で考えて、判断して、「自分の決断」をしてください。
そうすれば、日本が、世界がおかしくなるのを修正できます。決して「扱いやすい人間」にならないこと。そういう人が国の中枢にも多かったから、75年前のあのような惨禍が起こってしまったのだと私は考えます。
今日届いた「広島被爆者援護会」の方からのお礼状を見て、そのような思いを強く持ちました。修学旅行で広島の戦争について、平和について学ぶことが出来て良かったと思いを新たにしました。
とにかく日々「違和感」を感じ続けています。残念に思う事も多いです。
しかし!吹奏楽部は何か出来る事を探して必ず行動します。
「そういう人間の集まり」になる、と期待しています。ちょっと過激ですかね?
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