令和5年5月12日(金)
本日は午後にお休みを頂き、まずは浦和コミュニティセンターへ。
その後、帰宅して子どもたちを乗せて赤坂へ。
なかなか充実の金曜日でした。
NPO法人について学ぶ
浦和コミュニティセンターへ行ったのは、NPO法人の説明を聞きに行くためでした。
これまで任意団体(NPO)として活動してきた「埼玉国際音楽交流協会」を、NPO法人化するためのお勉強です。
2年前の年度末には、オンラインでの国際音楽祭を実施しました。

昨年度末はシンガポール演奏旅行の実施。
今年度はCovid-19の影響も薄くなり、とうとう国際交流も本格化します。
7月には台湾から大安国中学校の受け入れ。
今年はお手伝い出来そうです。
また、12月には香港演奏旅行を企画しています。
これからさらに活発に活動する上で、そろそろ任意団体では限界があると感じています。
これまでは、学校活動の一環である部活動と連携する形で国際交流を実現してきました。
私自身が所属している学校を中心に、色々とチャレンジさせてもらいました。
その枠組みを越えて、さらに幅広く活動していくために、NPO法人化を検討しているわけです。
説明してくださったさいたま市の職員の方がとても丁寧で、分かりやすくてしっかりと理解することが出来ました。
特定非営利活動法 を見れば、広く市民に資する活動を市民自ら行うことを支援するという考えが分かります。
まさに、この国際交流を支援する事業はNPO法人に当てはまります。
「無償」では続かない
「非営利」という名称から「無償」と勘違いされがちです。
市民に資する活動なのですから、当然「価値」のある活動になります。
そこには様々な仕事があり、それに見合った対価は発生します。
日本では ボランティア=無償 というイメージが定着してしまっています。
しかし、「無償」つまり与える側にのみ負担がかかる運営では、継続していくことは困難です。
NPO法人になり、多くの方に関わっていただくためにも、しっかりと対価を用意して活動が継続できる体制を作り上げたいと思っています。
まだまだ手探りですが、動き出したらあとはやり切るのみ。
いや~ワクワクしています!
日本フィルハーモニー交響楽団

3月以来の日フィルです。
また、シンガポールでお会いしたウォン・カチュンさんの指揮で、素晴らしい音楽を堪能させてもらいました。
今回は子ども三人と奥様と5人でサントリーホールへ。
次女(小学校2年生)は、初めてのプロフェッショナルのオーケストラを聴く機会になりました。
サントリーホールが最初というのも素晴らしいです。
ちょっとプログラムが濃かったので、小学生には重たかったかな。
まあ、それでも何か感じてくれたことでしょう。
子どもたちはそれなりに楽しんでくれたようで、とても良かったです。
私自身もアウトプットするばかりでなく、素晴らしい音楽をインプットする時間も大切です。
何より、リフレッシュすることが出来ました。
今年度は出来るだけコンサートへ行こうと思っています。
シンフォニエッタ
メインプログラムはヤナーチェクの「シンフォニエッタ」でした。

バンダが10名ほどいて、見事なファンファーレを奏でていました。
民族色が濃く、ちょっと土臭い感じが大好きです。
バルトーク(ハンガリー)と時代、場所的に共通性を感じます。
同時代で影響し合っていたのでしょう。
ちなみにチェコの音楽家と言えば、何と言ってもドヴォルザークでしょう。
「新世界」で展開するメロデイは、これまた故郷の空を民謡風のメロデイで彩ります。
民族音楽を大切にしているのは、その背景にヨーロッパ有数の長い歴史があるからではないでしょうか。
ちなみにチェコ人は西スラブ人であり、東欧の国に位置付けられています。
しかし、歴史的に見ればヨーロッパに君臨した神聖ローマ帝国の中心地でした。
宗教はローマ・カトリックで、ロシア、ウクライナの東方教会ではありません。
首都プラハにある「プラハ大学」は「カレル大学」とも呼ばれ、14世紀にカール4世が設置した大学です。
ちなみに神聖ローマ皇帝が設置した大学は、プラハ大学とナポリ大学の2つだけです。
そのことをとっても、チェコが欧州の重要な地域だったことが分かります。
その歴史的背景から、第2次世界大戦後すぐにソ連と距離を置いてアメリカ合衆国へ歩み寄りを見せました。
具体的には、アメリカによる経済支援「マーシャル・プラン」の受け入れを表明しました。
すると、ソ連による圧力がかかりあっという間に共産党による支配体制へと切り替わってしまいました。つまり東西冷戦の犠牲になったのです。
ちなみに、生徒の皆さんにはもはや馴染みが無いかもしれませんが、第1次世界大戦後に、民族融和を掲げ理想的実験国家として成立したチェコ=スロヴァキアという国家がありました。
マサリクという建国の父が、両民族は兄弟であり、一つになるべきというどこかで聞いたことのある主張から2つの民族による連合国家が誕生しました。

ちなみにマサリク自身が、チェコ人とスロヴァキア人が両親でした。
しかし、1991年のソ連崩壊後、たった3年で分裂してしまいました。
ということで、歴史という観点でも興味の尽きないチェコ。
次のヨーロッパ演奏旅行はぜひチェコ、プラハへ行きたいな~。
そして、チェコフィルを本場で聴いてきたいです。
楽しい音楽の一時。
ぜひ、皆さんもコンサート・ホールへ行きましょう~。
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